企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第7回 
ミュゲ・イプリッキチに聞く7

―この本の中に描かれていることは、実際に自分の周りでも起こっているのだ、と若い読者が気がつくために、物語をどう展開させなくてはいけないと考えますか
M・İ:子どもたちを、「読者」としてではなく、作品の登場人物として引きこまなくてはいけないと思って書いています。私の描く登場人物は基本的に、若い読者が、経済的・文化的に自分たちに近いと感じられるタイプです。しかし、その一方で、物語の中で起きている出来事に相対する、自分とは異なる人格の存在を読者が認められるような登場人物を描かなくてはいけないと考えています。
 

―社会的なテーマと子どものための物語を結び付けるのに重要なものはなんでしょう。あまりにテーマに偏りすぎると、「よくない真面目さ」というものが前面に出てしまいます。そこを緩和するのは何だと考えますか
M・İ:私が思うのは、フィクションあるいは物語で、基本にあるのは登場人物である、ということです。登場人物が「生き生きとしている」ことが大切であると考えます。登場人物につながる関係性と、物語の舞台が生き生きしていれば、読者にとって新たな世界の発見、というものが生まれます。若い読者には、テーマに偏るのではなく、登場人物を中心とした世界観として伝えるべく作業をしています。
 

―児童書は道徳の教科書ではないので、あえて厳しくシビアにしなくとも、子どもは感じ取り学ぶものですね
M・İ:私の作品から、若い読者に道徳的なものを学んでもらいたいと思ったことはありません。一般書でも、そんなつもりはありませんしね。そもそも、私自身が人生から読み解き、理解しようとしているのもそういった道徳的なものではないのです。
 ですから、作品にも私の姿勢は反映されています。つまり、読者と一緒に探し続けているというのが正しいでしょう。登場人物たちが、読者を、作者である私のことをも導いてくれるのです。
 

―現代のトルコ社会に即した作品が多いですが、ファンタジーを書いてみたいと思ったことはありますか
M・İ:これまで手掛けた児童向け作品の世界のために、ファンタジーを取り入れよう、と考えたことはありません。ですが、今後も取り入れないということはないですよね! 全く異なる世界に飛びこむのは、ワクワクすることです。自分の力量を試してみるというのも、また楽しいものです。きっと、いつか、手がけるときがくると思っています。
 

―児童向け作品を書くとき、「児童向け」という意識はありますか
M・İ:児童向け作品を書くぞ、というとき、「私は児童向け作品を書いているのだ」とは意識しません。でも、書き終えたときに、これは児童向け作品になるのだ、ということを思い出さなくてはならないと考えています。なぜなら、若い読者が読み終えたときのことを考えなくてはいけないからです。人生において、若い読者たちが安心できるような結末を用意したいと思っているからです。
 

―児童向け作品には、一般書とはまた違う技術が必要な部分があると思うのですが
M・İ:選ぶ言葉によく気を付けています。特に、会話文では、必要以上に文学的な表現にならないよう、子どもたちの興味を引きつけ続けられるような言葉のやり取りになるよう、意識しています。
 

●ミュレン・ベイカンのひとこと

―ミュゲ・イプリッキチはどのような児童・ヤングアダルト向け作品の作家ですか
ミュゲ・イプリッキチは、常に社会学的な視線と心理学的な繊細さをもって子どもと若者を描く作家のひとりです。心血を注いで作品を書き、それを質の高い本にするべく動き続ける作家のひとりでもあります。
 
彼女が、登場人物に血を通わせようと一生懸命になる姿は、個人的にとても素晴らしいことだと思います。そうして生み出される登場人物は、私たちに親しい存在になります。ミュゲが児童向けに描いた作品のなかで人気があるのは、例えば、『石炭色の少年』のサリフ。彼の感情は読者を熱く包み、彼とともに泣き、喜ばせてくれます。ヤングアダルト向け作品では、ミュゲは、登場人物たちとは距離を取るといっていいでしょう。難しい年ごろのさまざまな性格を持った若者を、ひとつの物語に配置するためです。ミュゲは、ヤングアダルトの読者に、混沌とした現実の光景を描いてみせ、彼らに、発見をうながし、作品を読みながら自分自身を見いだす可能性を提供しているのです。
 

© Günışığı Kitaplığı/Müge İplikçi 

 
https://en.gunisigikitapligi.com/book/komur-karasi-cocuk/
(『石炭色の少年』英語の紹介ページ)
 

 ●著者紹介


Müge İplikçi
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
 
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
 
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
 
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
 
 
©Müge İplikçi



Müren Beykan
(ミュレン・ベイカン)
1979年、イスタンブル工科大学を卒業。1981年、同大学建築史と修復研究所で修士を、2004年にはイスタンブル大学の文学部考古学部で博士を修める。博士論文は、2013年、イスタンブル・ドイツ考古学学会によって書籍化された。1980年以降は、1996年にイスタンブルで開催されたHABITAT II(国連人間居住会議)のカタログの編集など、重要な編集作業に多く参加する。

1996年、ギュンウシュウ出版創設者のひとりとして名前を連ねる。現代児童向け文学、ヤングアダルト文学の編集、編集責任者、発行者として活動する。ON8文庫創設後は、ギュンウシュウ出版と並行して、こちらの編集責任者も務めている。
(写真は、ミュゲ・イプリッキチのYouTubeチャンネル「オリーブの枝」に出演したときのもの)
 


 
 
●著者紹介

鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。

帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)