企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第5回 
ミュゲ・イプリッキチに聞く5

 
―プロの作家として今日まで精力的に作品を発表してこられましたが、執筆に疲れを感じることなどはありましたか
M・İ:もちろんです! これはもう、はっきり「ある」と言えますね。まったく関係ない別の文章を書くと、疲れが取れることもあります。でも時々は、執筆とはもう全然別のことがしたい、と思うこともあります。書くという行為とは一切、関係のない何かを……。

©Müge İplikçi/©Heyamola Yayınları
『コシュヨル~世界と同じくらい』(2011)
エッセイ。さまざまな作家が、イスタンブルの思い出の地を語るシリーズの1冊。コシュヨルはカドゥキョイにある地区

 

―メディアスコープtvでは、番組プロデューサーや司会を務めていますね
M・İ:メディアスコープtvでは、立ち上げ当初から番組を持っていました。もう6年も続いているんです。「オリーブの枝」は、中でも一番古い番組のひとつです。そのあとから、「シャボン玉」が始まりました。短い解説番組です。文化芸術と毎日の政治を融合させようとしています。
また、忘れてはいけない、「ミクロスコープ」があります。こちらは、毎月発行される文化と芸術をテーマとしたオンライン雑誌です。メディアスコープtvのユニットのひとつであり、私はその編集長です。アドレスは、www.mikro-scope.com。この雑誌は、若い人たち、そして変わらず若いままでい続ける作家たちとともに制作しています。もうすぐ第7号ができあがります(訳注:2021年12月現在)。読者のみなさんには、楽しみに待っていてほしいですね!
 

―執筆によって自身の世界、考えや思考を表現してきた作家として、映像と音声で表現するテレビマンの技術を使用するのにとまどいはありませんでしたか
M・İ:それはもう、本当に。しかし、「オリーブの枝」は、2020年、トルコで最も権威あるジャーナリズム賞を受賞しました。もちろん、とても幸せに思います。この賞はテレビ部門で受賞したのです。テレビにおけるインタビューは、これまで私が一切、何らかの表現をしてこなかった分野であり、その分野で受賞できたことを非常に誇りに感じています。
 

―執筆と映像のあいだに、違いはあると思いますか。
M・İ:しばしば、気がつくことなのですが。どれだけ念入りに準備をしても、向かいに座るのが遠慮がちなゲストであった場合、大変なことになる! もしくは、自分自身の、繰り出したパフォーマンスもどうもパッとしない。テレビ番組の進行というのは、本当に別物です。執筆は、そうではない。よい文章をつづることができれば、それでいいのです。
 

―映像による表現技術も身に着けてのち、執筆方法になにか変化はありましたか
M・İ:お互いがあまりに異なる表現方法ですから。両方をを互いにすり合わせて高めていきたいとは思っていますが、今のところ具体的な変化はないように思われます。きっと、いつかは、ですね……。
 

―『廃墟の町の女たち』のような研究書を手がけることは、小説になんらかの影響をもたらしましたか
M・İ:英語にも翻訳された小説『カーフ山』(英語のタイトルは、Mount Qafです)には、直接的な影響が見えます。登場人物のひとりは地震の被災者であり、『廃墟の町の女たち』を手がけたおかげで、大変興味深い地点へ到達させることができました。それ以外にも、私にとって非常に意義のある執筆活動でした。『廃墟の町の女たち』では書きながら多くを学びました。

©Müge İplikçi/©Everest Yayınları
『廃墟の町の女たち』(2002)
ウムラン・カルタルと共著。1999年のイズミット地震で被災した女性8人に話を聞き、まとめたもの。初版はメティス出版


民族誌学(※注1)の研究がいかに価値あるものか、この本を通じて理解しました。発展途上国の女性たちがどういった立場にあるのかということもです。そしてもちろん、自身の姿勢がどこを向いているのかも。そういったことを多く学びました。『カーフ山』には、この学びが反映されていますし、当然ながら、ほかの作品にも多かれ少なかれ反映され続けています。

 
©Müge İplikçi/©Everest Yayınları
『カーフ山』(2008)
小説。テロに抵抗して壮絶な人生を送るザヒデと、イズミット地震で夫を亡くした記者エメル。ふたりの女性の人生を追う

 

―作家であるなしに関わらず、ミュゲ・イプリッキチさんの作家としての人生に影響をもたらした方がいれば、教えてください
M・İ:英語の教師だった、故ペセン・シェンテュルケル先生。私を作家の道へ導いてくれた方です。もちろん、以降も多くの作家と親友となり、彼らも私に道を示してくれました。それでもペセン先生が、だれよりも私に影響を与えたんです。お会いしたのは私が11歳のときで、先生が亡くなるまで私たちの友情は続いたんですから。
 亡くなる1週間前、電話でお話したときです。「書いて、常に書いて、書くことを決してあきらめない」ことだと強く言われました。もちろん、そうします!

 
©Müge İplikçi/©Everest Yayınları
『ピンセットが引き抜くもの』(2003)
ウムラン・カルタルと共著。女性のあり方について問う16の論考をおさめる。初版はヴァルルック出版

 

注1:民族誌とも。フィールドワークにもとづき、人間社会の現象を説明する。英語では、ethnography。
 
 
 
 

 ●著者紹介


Müge İplikçi
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
 
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
 
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
 
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
 
 


©Müge İplikçi
 
 
●著者紹介


鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。

帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)