企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第2回 
ミュゲ・イプリッキチに聞く2

―大学、大学院で何を学ばれましたか? その分野を選んだ理由と、選択に読んだ本の影響があれば教えてください。
Mİ:イスタンブルの大学では、英語学・英文学学科に在籍しました。文学への愛ゆえに、と言えますね……。この分野を選んだのは偶然ではありません。
 
ふたつの大学の大学院に通いました。トルコでは女性学を学びました。トルコと中東において、このテーマが非常に重要であると知っていたゆえの選択でした。
 

©Müge İplikçi
カナダのゲルフにて

 
オハイオ州立大学では改めて、発展途上国の女性について知識を深め、もう一方の大学院で学んだことをさらに深めました。この研究はのちに一冊の本になりました。『廃墟の街の女たち』です。1999年のギョルジュク地震(※1:下記参照)で一命をとりとめた女性たちとともに作ったものです。
 
 
―学生時代、将来は作家になると思っていましたか?
Mİ:学生時代には、すでに執筆を始めていました。しかし、私の人生にはとある期間があったんです。暗黒期とでも言いましょうか。2530歳が、この期間にあたります。そのころは、作家になんてなれない、と思っていました。まだ若い時代の、いちばん不幸で、いちばん不安定な期間だったと思います。でも、同じくらいの重要さで、私の将来に向けての準備期間でもありました……
 
 
―学生時代の本との関係性は?
Mİ:本を選ぶ際に、トルコ語と英語、両方の選択肢があったことは、私の世界を広げてくれました。英語で授業をする高校に通い、11歳から英語で書かれた文学作品に親しんできました。サリンジャー、トルーマン・カポーティ、ヘミングウェイなどの作家の作品を原語で読みながら出かける冒険、それが私の文学でした。彼らは特に、1213歳の中ごろに私が手にした作家たちです。
 
このような高校時代を過ごしただけではなく、素晴らしい母の娘であったことも幸運でした。大学を修了し、それだけの文化性を持った母の娘として、ほんの幼いころから本や芸術に触れることができました。母のおかげで始まった私の読書という冒険は、前述の作家たちにより高校時代に強固なものとなりました。大学ではもう、本は私の人生でした。
 
 
―作家となる以前、「書くこと」は、ミュゲ・イプリッキチさんにとってなんでしたか?
Mİ:いつも、常に何かを書いていました。本当に、物心ついたときから! 親しい友人たちのほとんどが、私の手書きの何ページもの「書いたもの」を持っています。私は、話すかわりに書いていたんですね……。ずっと作家になるんだと夢見ていました。冗談ではなく、です。
 
 
―では、作家になると決めたのはだいぶ早かったのですね
Mİ:そうです、本当に幼いころ決めました。5、6歳ごろですね。
 
 
―プロの作家になったあと、「書くこと」の意味に変化はありましたか?
Mİ:実際に作家になってみると、多くのことが変わりました、ええ、驚くほど!
紙ナプキンに書きつける、と言いますが、思いついたことをちょっと書くことが、いまでも私は大好きなのですけれど。プロとなってからは、仕事とそれのバランスを取るように心がけました。ときどき、執筆から逃げ出したくなり、隠れてしまいたいと思うこともあります。トルコのような国で作家として生きることに、どういった意味があるのか考え続けるのです。
 

©Müge İplikçi
大好きなチャイと大樹の幹

 
でも、ふっと、こういったことが気にならなくなるときが訪れます。私が信じていたところへ、本来の意味へ立ちもどったのです。「書くこと」へ……。そして、私は元気を取り戻し、リラックスし、エネルギーをチャージして、再び子どもになります。生まれ変わります。私はいつも、そうやって巡っているのです。
 
 
―仕事の時間はどう始まり、どう過ごすのですか?
Mİ:私にとって書く仕事は、朝食とともに始まるものでした……。しかし、これをきちんとしたルーティーンに落としこむ必要が出てきました。「プロフェッショナル」という名を持つ、この奇妙な看板が、己を定義しはじめるからです。やたらと審査を始めるわけです。こうなると、私には危険視号と映ります。しかし、もう後戻りはできません。
ということで、朝10301530を、執筆にあてることにしています。何も書かないことがあったとしても、自分の仕事部屋、オフィスで、この時間内はあるべき場所に座って、書くことに尊敬の念を感じながら過ごします。このあいだに、仕事し、考え、メモを取ることを続けているのです。これが、私の仕事風景です。
 
 
1:1999817日のイズミット地震のこと。現地時間午前0302分、トルコ北部で発生したマグニチュード7.6の地震。震源地はマルマラ地方コジャエリ県イズミット。公式発表で17000人あまりが死亡(死者は6万人以上という報道もある)し、約60万人が住居を失った。
 
工業地帯を擁する人口密度が高い地域を揺れが襲ったため、精油所や海軍関連施設などが倒壊・炎上し、被害は甚大なものとなった。震源から70キロメートル離れたイスタンブルでも、被害は大きかった。

 

 ●著者紹介


Müge İplikçi
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
 
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
 
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
 
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
 
 


©Müge İplikçi
 
 
●著者紹介


鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。

帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。
 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)