企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第1回 
ミュゲ・イプリッキチに聞く1

 ―ミュゲ・イプリッキチさん、よろしくお願いします
ミュゲ・イプリッキチ(以下M・İ):まず「メルハバ(注:トルコ語で「こんにちは」の意)」と始めたいと思います。メルハバ(注:merhaba)は、アラビア語を語源としてトルコ語に組みこまれました。「私からあなたへ、害は及ぼされませんよ」という意味です。このことばから、毎日のこと、生活、人間関係、そして悩みなどについての話を始めてみましょう……。そして、すてきな日本のみなさんに、メルハバ、と言わせてください!
 

―どこから始めましょうか
M・İ:では、最初は、私自身のことを第三者の視点に立ってご説明しましょう。ごく一般的な感じで、まとめてみたいと思います。
 

―お願いします
M・İ:ミュゲ・イプリッキチはイスタンブルに生まれました。教育の90パーセントを、イスタンブルで終えています。人生を見いだす、ということをこの街で学びました。いろいろな国へ行っていますが、いつでもこの街へ帰ってきます。家へ帰る、ということは、彼女にとって常に特別なことなのです。
 
小さいころから作家になりたいと思っていたところ、人生の不思議、こうして作家となっています。好きなものの中でもいちばんは息子のアリ・デニズ、そして娘のミア。ミアは、ふわふわした1歳の猫です。ほかには、木、子どもたち、水泳、チャイを飲むこと、読書、執筆、海――特にエーゲ海と地中海――、音楽、心から仕事をするひとがとても好き。
 

©Müge İplikçi
息子アリ・デニズと(2004年、アリ・デニズは当時6歳)

 
一時期、大学で教鞭を取っていました。現在は、夫ルシェン・チャクルとかけがえのないスタッフが立ち上げたメディアスコープtvで「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めています。若いひとたちと発行した、文学と文化のオンライン雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもあります。手がけた児童向け作品、ヤングアダルト作品、一般書は20冊以上になります。
 
一時、陶芸に夢中になったことがありました。ヨガもやりますし、時々はピラティスも。ダンスには格別の楽しみがあると言います。
 
執筆に特別の時間は設けていませんでした。「書くこと」は彼女にとって食事をする、眠る、といった行為と同じだからです。眠れず、食事もできないときは、体調がすぐれないときですよね。彼女は書けないときに体調の不具合を感じるのです。最近は、もう少し注意深く、几帳面であろうとしているようです。執筆のための時間を持つようにね。
 

―どんな子どもでしたか。最初の本との関係なども教えてください
M・İ:陽気で、同時に不安を抱えた子どもでした。その一方でよく笑う子どもでもありました。幼なじみに言わせると、こういうことだそうです。傷心と不安から逃れるために仮面をかぶってはいても、楽しく子ども時代を過ごしていた、と。思うに、悲しみを感じるたびに、絶望にさいなまれるたびに、私は自分をそうやってなだめてきたのではないでしょうか!
 
最初の本に出会えたのは母のおかげでした。母のおかげで、世界とトルコのクラシックな児童向け作品に出会い、よく読んでいました。ですが、本に夢中になってのめりこむことは、実際の意味で、私にとってはやはり逃避でした。本の中に幸せ、人生、目標、世界を見つけ、本とともに素晴らしい、本当に素晴らしい時間を過ごしたので。この関係は今も変わりません。
 

―ミュゲ・イプリッキチさんの学生時代、当時の若者たちにとって、トルコ文学とはどのようなものでしたか? トルコ文学のデモクラシー時代と言われる1940~60年代に生まれた世代の作家のひとりとして、トルコ文学の変遷をどうごらんになりますか。
M・İ:私の若いころのトルコは、非常に困難な時代でした。1980年の9月12日クーデター(※1:下記参照)のころでしたから。いたるところで軍部がパトロールしていて、権利と表現の自由が公的に侵された時代でした。とてもつらい時代。
 
しかし当然ながら、この状態は当時一時代だけのことではないのです! 全般的に見てトルコは、この権利と表現の自由に関して、常に阻害されている国である、と言うべきなのが現状です。そして残念なことに、こうなってしまうと自分の国が好きでない、という状態に陥るわけです。トルコの多くの作家や知識人にこの傾向が当てはまります。
 
トルコに「正しいことを言うと、九つもの村から追放される」という言い回しがあります。正しいことを言う人は誰からも好かれない、と言い聞かされます……。こういった気運が、特に1980年代に大変高まったせいで、今日のトルコの文化的漂流の最も基本的な様相はこの時期に確立されたと言えるでしょう。知性の排除、過小評価、あるいは無視……。これは必然的に書籍、読書、思考に二極対立をもたらしました。識字率が今日においてもこれだけ低いのは、まさに当時、政治的に仕掛けられたシナリオの結果です。それにもかかわらず、例えば20世紀、特に1950年代にはじまり70年代までこの国で続いた、読書によって得られる楽しみを好む傾向の勢いが、途切れることなく今日までつながっていたなら、いま、まったく異なるトルコについて語っていたかもしれないのです。
 
しかし、私はこう述べておきたい。こういった破壊行為にもかかわらず、トルコという国の文学は、いずれ必ず世界各国の文学と肩を並べられる文学なのです。
 
 
 
※1:「9月12日クーデター(12 Eylül Darbesi)」のこと。1980年、トルコ共和国で発生した軍事クーデター。1970年代終わりのトルコ共和国は、左派右派の政治対立による政治テロの激化、インフレ、高い失業率を慢性的に抱え、経済的に崩壊寸前だった。当時の二大政党、公正党(AP)と共和人民党(CHP)は手を打てず、政治的にも行き詰まりを見せていた。
 
当時、トルコ国軍参謀総長だったケナン・エヴレン(1917~2015)ら軍首脳陣が、この政治的経済的混乱の終息を図り、クーデターを敢行した。軍部はトルコ全土に戒厳令を発令し、国会を掌握した。憲法の停止、議会の解散、政党解党などの措置が取られた。軍事政権は、1982年に新憲法を制定し、その翌年1983年に民政移管がなされた。

 ●著者紹介


Müge İplikçi
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
 
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
 
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
 
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
 
 


©Müge İplikçi
 
 
●著者紹介


鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。

帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)