ミュラの遺跡の古代ギリシャ劇場の客席後部に出ました。
山の中腹にあり、もとのミュラの町(現在のデムレ市街地)よりも高い位置にあるため、よい見晴らしです。「聖ニコラウスのミュラへ⑤」でも書きましたが、もともとのミュラの町は現在のデムレの下になっています。本来は、周囲の土地がもう少し低かったと思われるので、見晴らしももっとよかったでしょう。聖ニコラウスが司教をしていた時代には、もしかしたら、海まで見えたかもしれません。
白く見えるのはすべてトマトのハウスだそうです。デムレのトマトは名産でおいしいと、昼食を取ったレストランの店長が教えてくれました。
トルコの地中海沿い、エーゲ海沿いには、このような古代ギリシャ劇場やローマ劇場を持つ都市の遺跡が数多く残っています。観光地となっているところも多いですが、いまだ発掘途中であったり、まったく手が付けられていない遺跡もたくさんあるそうです。
さて日差しはますます強くなり、気温も上昇します。Fさんはついに、防寒のために持ってきたストールを頭にかぶるにいたりました。もう少し眺めをたんのうしたかったので、端の方の日かげへと足を向け、ふと下を見たときなかなかすごいものを見つけました。
恐らく劇場の石が少しゆるんだといったような理由で、なんらかの補強をしたあとだと思うのですが、石と石とを金属製の「かすがい」で留めてあります。
もちろん石同士の接着は十分な強度があり、危険ならば立ち入り禁止になっているはずですから、その上に乗っても問題はないと思われます。しかしトルコの大らかさを思うにつけ、かすがいで留められている石積みの上にいるという事実は、なんとなくおへそのあたりを冷たくするものがありました。
そこで早々に下へ降りることにしました。階段状の客席を下り、劇場の舞台であった場所から客席を見上げてみました。この劇場はそれほど大きな規模ではありませんが、背後にトロス山脈の端があるので迫力があります。俳優たちの声もよく反響したでしょう。
舞台と客席を分けている通路を通って劇場を後にします。ここは本来、俳優やコロスと呼ばれる合唱隊のメンバーが出入りするための通路だったようです。写真の中で右が客席、左が舞台となります。
車が走る道路からミュラの遺跡までの道には土産物屋がずらりと並んでいます。私たちが到着したときには、英語圏の人とおぼしき団体客がにぎやかにお土産を選んでいました。戻り道では私たち以外に人の姿は見えず、店の人たちも「用があったら呼んでね」、という雰囲気でおしゃべりに興じています。
私の手元には件の「1ドル」があり、ここでなんとか消費したいと考えていました。どの店も土産品の値段はドル表示です。やはり観光客は欧米の人たちが多いのでしょう。イスタンブルの土産店でも、ドルとトルコリラの並列表記や、トルコリラのみの表記が多いことを考えると、デムレの観光客の傾向がよくわかります。
1ドル……と唱えながら目を走らせていると、ありました。キーホルダーがたくさんかかったスタンドの上に「1$」の文字。ほくほくと近づき手に取ってみると、三人の聖ニコラウスの姿がついたキーホルダーでした。
ギリシャ正教の司教の衣姿、ロシア正教などほかの正教の司教の衣姿、そしてサンタクロース姿の三人がメタルで打ち貫かれています。
とてもわかりやすい、といえばわかりやすいキーホルダーです。土産物なので、聖ニコラウス=サンタクロースというデムレの売りの部分を前面に出しています。それでもほかの正教の司教姿を入れることで、デムレからヨーロッパへと広がり、最終的にはサンタクロースとなったと考えられている聖ニコラウスの変遷を感じてしまいます。
店をのぞくと誰もいません。向こうで談笑しているうちの誰かが店の人だろうと「すみません!」と声をかけ手を振ってみました。思ったとおり、お兄さんがひとりかけてきてお勘定をしてくれました。かくして悩みの1ドルは、私の手を離れることになったのです。
ミュラの遺跡の見学が終わった時点でお昼の時間を過ぎていたので、デムレの中心に戻り、イルハンさんおすすめの店でお昼を食べることにしました。
かなりの量がありましたが、Fさんと「ここまできて食べない選択肢はありませんね」と、きれいにたいらげました。おいしかったので、無理せずともすべて腹に納まりました。土地のものはおいしくいただくのが何よりです。
昼を食べ終わると3時過ぎ。イルハンさんの車に乗り、アンタルヤ中心部に戻ります。戻り道、海沿いのカーブを曲がるたびにデムレの町が見えながらも、少しずつ遠くなっていきました。
アンタルヤ中心部に着くと、まだ時間があるから、とイルハンさんが眺めのいいカフェに連れて行ってくれました。目を上げると、地中海に向かって開くアンタルヤ湾が弧を描き、その先にトロス山脈が見えます。
駆け足の旅の最後に再び、聖ニコラウスとサンタクロースの間に大きく横たわる物理的な距離を感じました。現代、サンタクロースが北極圏に住んでいるとされるのは、北欧神話のオーディンと一緒にされたからという説もあるそうです。司教ニコラウスの時代には多神教(ギリシャの神々)から、一神教であるキリスト教への改宗の一端を担った聖ニコラウスが、聖人となってのちに北欧の多神教の神と組み合わせられるというのは、なんとも不思議な感じがします。
地中海の気候の中、聖人となる前の司教ニコラウスが歩いたであろう土地を巡り、サンタクロースとのつながりを色々考えることができた旅でした。
次回は番外編で、イスタンブルにある聖ニコラウス教会をご紹介します。
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。