企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第5回
 

 再びイルハンさんの車に乗り、ミュラの遺跡へ向かいます。

 
遺跡は同じくデムレの町の中にあり、聖ニコラウス教会から車で5分ほどの距離です。そもそも、ミュラの町が現在のデムレになっているので、「ミュラの聖ニコラウス教会」は本来のミュラの中に建っています。史跡・遺跡としては別々ですが、もとはそれぞれミュラの一部です。現在、ミュラの遺跡として公開されているのは、ネクロポリス(巨大な墓地)と古代ギリシャ劇場ですが、それ以外の大部分は現在のデムレの下になっています。

 
 
 

 ©suzuki ikuko
遺跡の入り口に立つ彫刻。説明が見当たらないが、古代劇場の一部かと思われる

 
 

ミュラはミラとも言い、リュキア地方の古代都市です。リュキア地方は、現トルコのアンタルヤ県とムーラ県にあたり、エーゲ海と地中海に面していました。また、非常に多くの都市国家が存在していました。紀元前168年、リュキア地方の都市国家はリュキア連邦を結成し、周辺の強大な国に対して力を示そうとしました。ミュラは、その主要都市のひとつです。
 
 
ミュラに住んでいたのはギリシャ系の人びとで、ギリシャ神話にも登場するアルテミスを信仰していました。アルテミスは町の守護神でした。
 
 
『黄金伝説』には、聖ニコラウスがアルテミス信仰をやめさせようと、アルテミスの神木を切り倒させ、これをうらんだ女神が、聖ニコラウスに復讐しようとする一節があります。『黄金伝説』で、アルテミスは「女夜叉ディアナ」、ギリシャの神々への信仰は「邪教」とされています。
 
 
聖ニコラウスが神木を切り倒させたことをうらみに思ったアルテミスは、ミュディアコンという特別な油を用意しました。これは石にかけても、水の中でも燃える強力な油です。アルテミスは、信心深そうな女性に姿を変え、小舟に乗りこみました。海上で、聖ニコラウスの教会へ参詣に行く人たちと行き会うと、「ニコラウス様のもとへ行きたいが、どうしても行くことができない。自分の代わりにこの油を教会の壁に塗ってくれまいか」と頼み、姿を消します。今度はそこへ、聖ニコラウスによく似た人を乗せた船がやってきました。その人は、船の人びとに「今の女性はあなたがたに何を話したか、また何かを渡したか?」と聞きます。人びとが事情を説明すると、「あの女性はいかがわしいディアナである。その油を海に注いでみるように」と言います。言われたとおりにすると、水が炎を上げて燃えはじめました。人びとはそのまま船旅を続け、聖ニコラウスの教会にたどりつきました。そこにいた聖ニコラウスを見ると、海で油の警告に現れた人と同じ姿でしたので、みな礼を言った、ということです。
 
 
キリスト教布教の初期、ミュラは府主教(複数の教区を管轄する)が置かれた地でした。従来のギリシャの神々と新たなキリスト教。そのあいだには、信仰と改宗を主としたさまざまな軋轢があったと思われます。聖ニコラウスが本当にアルテミスの神木を切り倒したのかはわかりませんが、『黄金伝説』の一節は当時の宗教のようすを伝えていると言えるでしょう。
 
 
 

 ©suzuki ikuko
向かって左の断崖にネクロポリス。右に円形劇場。
この断崖の上にミュラのアクロポリスがあったらしい

 
 

車を降り、土産物の並ぶ中をぬけていくと、ミュラの古代劇場の向こうにネクロポリスが見えてきます。
ミュラのネクロポリスは、断崖の岩をくりぬいて石室とし、穴の周りには神殿の入り口のような装飾がほどこされています。
 
 
 

 ©suzuki ikuko
どの墓も正面が壊れている。壊され、墓荒らしに遭ったのかもしれない

 
 
 

 ©suzuki ikuko
よく見ると、所どころに浮き彫りで彫刻がほどこされている

 
 

こうした岩をくりぬいた墓地はリュキア独特のものと言われます。ミュラのように崖をくりぬいたものもあれば、現トルコのムーラ県フェトヒエに残るクサントス(リュキアの古代都市。リュキアの文化と商業の中心地)のように、石柱の上に屋根がついた家形の石棺を乗せた形のものもあります。トルコのエーゲ海、地中海沿いにはリュキアの都市国家の遺跡がずらりと残っているので、ネクロポリスも多く発掘されています。
 
 
 
 

 ©suzuki ikuko
見学の柵からできるだけ手をのばして、一番下に作られた墓を撮影。
床に四角い穴が開いているのがわかるが、それ以外は見えない

 
 
 

 ©suzuki ikuko
写真中央、突き出た岩の外側も加工し、家の形をした石棺のように仕上げた墓もある

 
 

断崖に墓が重なるようにして掘られた光景があまりに格好よいので、しばしネクロポリスの前をうろうろして思う存分写真を撮りました。これは、聖ニコラウスがミュラに登場する前の墓ですから、司教時代の聖ニコラウスもながめた場所だと思います。
 
 
ネクロポリスの前に30分ほどいましたので、「そろそろ劇場に行ってみますか」と移動することにしました。
 
 
雲ひとつない晴天に地中海地方の太陽が輝き、気温は25度を超えました。寒い朝のイスタンブルに備えて着こんできたので、暑くてたまりません。古代劇場から戻ってくる英語圏の観光客のみなさんは、半そでやノースリーブになっています。男性にはハーフパンツの方も多い。
 
 
 

 ©suzuki ikuko
円形劇場のわきから入る。きれいな石組みが残っている

 
 

こちらは、せいぜいシャツのそでをまくる程度の対策しか取れず、うっかり日焼け止めも塗り忘れて、強い日差しに不安を覚えながら劇場に続く木と鉄の階段を上っていきます。ひとまず劇場わきの日かげに入ってほっとしました。

 
 
 
 
●著者紹介


鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
 
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。