まず、教会の入り口にあったミュージアムショップの出店を見ることにしました。イコンを専門に売っているようで、小さな屋台にびっしりと聖ニコラウスのイコンが並んでいます。レリーフがほどこされた銀色の額がついたものから、木製の素朴なものまで様々です。
せっかくここまで来たので、小さいものをひとつ買うことにしました。手のひらに収まるほどの本型のもので、木製のイコンを選びました。
開くと、左面には左手に聖書を持ち、右手を祝福の形に挙げた聖ニコラウスがいます。右面には、どうやらロシア語らしい文字と、八端十字架。この十字架には八カ所の先端部分が存在するので、八端(八つの端)十字架と呼ばれ、主にロシア、ウクライナ、ブルガリア、セルビアなどのスラヴ系正教会で用いられます。ということは、読めませんが、やはりこれはキリル文字なのでしょう。
ロシア人の観光客が非常に多いそうなので、ロシア語圏向けのお土産と思われます。店番のお兄さんが「なんであんたがこれ買うの?」という顔になっていたのもうなずけます。
お値段は35トルコリラでした。しかし私の手元には5リラ札がなかったので、20リラ札二枚で支払いました。するとお兄さんがなぜか、1ドル札でおつりをくれます。
「5リラ、ないんですか?」と私。
「ないんだよ」とお兄さん。
あら、という顔をすると、「でも、1ドルの方が高いんだから、お得なんだよ」とのこと。確かに、2018年11月のレートでは1ドル=7トルコリラでしたから、お得なのはわかります。しかし、1ドル持っていても使うところもないし、こちらとしては困るわけです。ホテルでチップに置いても、もらった人もわざわざ1ドルを両替するのはいやでしょうし。しかし、ないものは仕方ないので、そのまま受け取りました。
この1ドル、後でちゃんと生きてきます。
坂を上り、教会前の中庭に出ます。サンタクロースに寄せた姿の聖ニコラウスの銅像があり、その奥にミュージアムショップの本館が見えます。
銅像の土台を見ると、16th International Santa Claus Activitesi(第16回国際サンタクロース活動)とあり、1998年にアンタルヤで、何かカンファレンスなどがあった模様です。一番下にSanta Claus Foundation(サンタクロース財団)とありますから、フィンランドにあるサンタクロース財団が関わっているようです。
やはり現代においてサンタクロースに関わる組織を運営している人たちも、聖ニコラウスとサンタクロースは同じの聖人の現れ方が異なる姿、としてとらえているのでしょうか。
サンタクロースに関する書籍を読む中で、ロビン・クリクトンが、現代のサンタクロースは国際化された産業利益的なものになってしまった、と書いていました(注1)。確かに、日本だけを見ても「クリスマス」の意味から逸れて、エンターテインメントとして、もしくはクリスマスを象徴するグッズとして、サンタクロースは消費されています。銅像の土台では、世界平和と子どもたちの平和が同時に願われています。聖ニコラウスとサンタクロースは、こういった銘文などのために利用されているのか、それとも信仰を伴った聖人の在りようの変化なのか、大変難しいところであると思いました。
ミュージアムショップでは、まずマグネットを二枚買いました。修復前の聖ニコラウス教会と、ロシア正教の豪華な衣装を着た聖ニコラウスのイコンのものです。
修復前の教会の姿は、何年ごろのものかはわかりませんが、保護シートの下に隠れていた教会の全容がよくわかります。現在行われている修復は屋根の修復とのことでしたから、フレスコ画が色あせるのを防ぐためにも、うまく保護天井などをかけてほしいものです。
後々何かの資料になるかもしれないので、ガイドブックも一冊買いまいした。
教会の見取り図、フレスコ画の説明、教会内部を上から写した写真などが面白いです。ミュラの町に加え、ミュラの港だったアンドリアケなど周囲の地図と解説も入っていて、20リラにしてはお得な感じがします。できればトルコ語のものがほしかったのですが、残念ながら英語、ロシア語、ギリシャ語などしかありませんでした。
アンドリアケといえば、聖ニコラウスにはこういった伝説があります。
聖ニコラウスがミュラで司教をしていたころの話です。ある年、大飢饉がおこり、地域の食物は底をつきます。ある日ニコラウスは、小麦を積んだ船団がミュラ近くの港に立ち寄ったと聞いて出かけてゆき、どの船からも少量の小麦を分けてほしい、と頼みます。しかし船乗りたちは、これはローマ皇帝に納めるのだし、量と目方が決まっているので無理だと断ります。するとニコラウスは、こう言いました。
「私の言うとおりにしなさい。神のお力にかけて誓います。皇帝のお役人たちに渡すときにも、小麦は全く減ってはいないでしょう」
船乗りたちはニコラウスを信じ、言うとおりにします。小麦を役人に渡してみると、確かに積みこんだときと寸分たがわぬ量でした。船乗りたちはこの奇跡を人びとに語り、神とニコラウスを褒めたたえました。ニコラウスが得た小麦はほんのわずかでしたが、その後二年間、どれだけ分けても全く減ることはなかったのです。
この船団が寄港した「ミュラ近くの港」がアンドリアケだと思われます。
ミュージアムショップを出て、中庭の方へ戻ると、ハイビスカスの仲間が花を咲かせていました。
その先、斜め後方から見た聖ニコラウスの像の向こうにはトロス山脈が続いているのが見えます。そして高いヤシの木の仲間も。この地が、地中海地方である、という認識を新たにします。
先ほど土台について考えたことも含め、地中海地方に生まれ亡くなった聖ニコラウスと、北極圏に住むサンタクロースとは、実に長い時間と距離の果てにつながったのだと思い返しました。
Fさんと「面白かったですねえ」と言いながら教会を出て、イルハンさんの車に戻り、ミュラの遺跡へ移動します。
(注1)ロビン・クリクトン『サンタクロースって、だあれ? その伝説と歴史を訪ねて』尾崎安訳、教文館、1988年
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。