菊酒といえば九月九日重陽の節句、菊の節句にふるまわれる菊の花びらを浮かべたお酒が思い起こされる。中国の菊花茶は干した菊の花をお茶にするものだが、菊酒には生の花びらを用いるのが普通だ。だが、菊酒の中には、梅酒のように、花びらを氷砂糖と共に焼酎につけ込んで作るものもあるらしい。
ヨーロッパ的物語を日本の土に
安房直子の『ハンカチの上の花畑』は、壺の中に住む小人たちが、まじないの歌を歌うと出てきて、ハンカチの上に花畑を作り、薫り高く美味しい菊酒を作ってくれるという物語である。これは菊の花びらをつけ込むタイプの菊酒で、とろりと甘いという描写があるから、氷砂糖を使うものだろう。知らないうちに仕事をしてくれる小人たち―しかもお礼をすると却って害になる―というモチーフや、この小人たちの服装がヨーロッパ風で、バイオリンを弾いたりするところが外国の昔話を思わせるものの、菊酒と、戦後再興しようとする老舗の酒屋という舞台設定が、しっかりとこの物語を日本に根付いたものにしており、作者が欧米の昔話や童話に造詣が深く、しかもその知識を日本人として創作に取り入れることに成功していることがよくわかる。
安房直子と植物
いうまでもなく安房直子の物語は草花や木々が大きな役割を果たすものが多い。遠いのばらの村や、キキョウで染め物をするキツネ、淡い恋心を抱いて消えるさんしょの木の精、木蓮の木のはなびらに変えられる娘たち…。花・草・木のにおいや手触り、色はもちろん味までが、物語の中で重要な意味を担っている。その中でもめずらしく、『ハンカチの上の花畑』は長編の体裁をとっている。そして小人の世界と人間の世界は、二重になるだけでなく、入れ子状にもなり、まるでクラインの壺のような不思議な構造になっているのである。
壺の中の小人とお酒
郵便配達の良夫さんは、ひょんなことから、古い酒屋のおばあさんから不思議な壺を預かることになる。ハンカチを広げ、「出ておいで、菊酒つくりの小人さん」と声をかけると、中から小人の家族が現れてハンカチの上に菊の苗を植え、そこに咲いた花を収穫するのだ。小人たちがその花をもっては壺に戻ると、不思議な香りのよい菊酒が壺の中に醸し出されている…。おばあさんとの約束は、小人のことを秘密にしておくこと、このお酒で金儲けをしないことであった。しばらくのあいだ良夫さんは一人でお酒を楽しみ幸せに暮らしていた。ところがある日、このことを知ったお嫁さんは、小人たちと心を通わせたいと、小人にビーズの玉をプレゼントする。小人たちはたいそう喜んだようでお嫁さんもうれしかった。しかし、同時にお嫁さんはこっそり大量のお酒を小人たちに造らせ、そのお酒を売ってお金を儲けることに手を染め始める。プレゼントをしているのだからいいじゃない、と自己正当化しながら、ついには良夫さんまで説得して、お酒でお金儲けを始めた時。大変なことが起こる。
小人への贈り物
寝ている間に仕事をしてくれる小人の話はドイツにもイギリスにもあるが、お礼には「なくなるもの」つまりミルクとかおかゆとかを出すことになっている。親切心を出したおかみさんが靴と洋服をプレゼントしたところ、喜んでそれらを身につけて、どこかへ行ってしまった、というオチが必ずついている。それがなぜなのかということは語られていないのだが、この『ハンカチの上の花畑』のばあいは、理由はかなり明らかである。
ビーズを贈られ首飾りを作って身につけた小人たち、そのあと靴や洋服やミニチュアのバイオリンを贈られた小人たちは、ただ働くだけの日々が嫌になり、もっときれいなものが欲しい、歌って踊って遊んで暮らしたい、という欲を目覚めさせられてしまうのだ。それが、ただ個人的に楽しむだけなら許されてきた菊酒を、お嫁さんがお金目当てに売り始めるのと同時であるというのも示唆的だ。
ここはハンカチの上なのかどこなのか
壺の持ち主だったおばあさんが戻ってきて、街で新しく酒屋を始めるらしいと知って、後ろめたい良夫さん夫婦はあわてて郊外の新しい家を買って、街を逃れた。しかしその新しい家の隣に住んでいたのは… 壺の中で菊酒を作っていたはずの小人の一家に他ならなかった。青い空がひろがり、そこからともなく歌声が聞こえるのだが、意味はよく分からなかった。「デテオイデ、デテオイデ、キクザケヅクリノコビトサン…」
あるときふっと我に返った良夫さんとお嫁さんは、小川をさかのぼって泉を見つけ、水を飲むことでこの世界に還ってくる。いままで自分たちがさまよっていた草原が白いレースのついた一枚にハンカチだったのかもしれない、という目眩のするような感覚。
菊の薫り
薔薇やすみれとちがって菊の薫りというのはどこか薬っぽいしつんとしていて甘いばかりではない。ついつい物欲に負けて約束を破り、資本主義の罠にはまってすべてを失った夫婦、という表向きの教訓的な物語の裏には、壺の中の小人とは何かという解き明かされていない謎が残っている。
この小人たちを、そもそも誰がいったいつかまえて菊酒を作らせていたのだろうか。小人たちを個人と見て心を通わせようとしたお嫁さんの行為は、結局は良夫さん夫婦を破滅に追い込んだが、壺の中でただ労働を搾取されていた小人たちに、本来の享楽的性質を取り戻させ、解放したのだとすれば、何が正しくて何が間違っていたのか。菊の薫りの余韻が、ハンカチの上の壺の中から漂ってくる。
安房直子の物語は、草花の美しい話でもなければ、昔話的な怖さをもつだけでもない、本質論的な問いかけが常に開かれているのである。
第8回