企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第2回


──1979年の設立運動から1994年の実際の協会設立までを、もう少し詳しくお願いします。

セルピル・ウラル(以下、S・U) 1980年以前、とくに1970年代後半になると、政治的意図をふくんだ児童書の数が急激に増えました。トルコの国内情勢が不安定な時代に、過度の左派・右派といった思想が子どもの本にも反映されたということです。ですから、1980年の軍事クーデター(筆者注。下記参照)以降、トルコ政府は左右の思想をもついかなる団体も設立させないために、いかなる協会や基金の設立に対しても、非常に厳しい取り締まりと審査をおこないました。
ですから私たちも、子どもたちのための図書協会を立ち上げるのに非常な苦労を強いられることになりました。設立に関わる会員、協会の意図──そういったものに関して信じられないほど細かい審査があり、情報や書類の提出を求められました。こちらから提出したものを時間をかけて調査し、審査し、可否を問い。そしてやっと認められたのです。

──そのようななか、セルピルさんご自身は子どもの本を書き続けていたのですよね?

S・U ええ。その間も、私は新しい作品を書き続けていました。文を書き、挿絵を描き。前にお話ししたとおり、子どもの本に関する知識と経験を蓄えるためにミュンヘン国際児童図書館で3か月の研修を受けたのもこのときです。
ちょうどこのとき、トルコ国内での協会の設立がむずかしいことを理由に、IBBYから個人で作家・挿絵画家として会員になることを認めてもらいました。作家で研究者のギュルチン・アルポゲ(1935~)も同様に個人会員となっていました。私は、個人会員としてIBBYの世界大会に参加するようになり、IBBYという機関をより深く知ることができるようになったのです。

──そうしているあいだに、協会設立の年が訪れます。

S・U 1994年です。公的に協会として国の認可を受けた児童・ヤングアダルト図書協会は、IBBYのトルコにおける窓口としても正式に認められました。ここで私の個人会員の歴史は終わりを告げることになります。うれしいことに、トルコを代表する機関となった児童・ヤングアダルト図書協会の一員となれたのですから。
国とIBBYの認可を受けて活動を開始してみると、協会の名前はあっというまに広まり、会員になりたいという人が引きも切らない状態になりました。作家、画家、教育関係者、研究者、出版関係者、そしてもちろん図書館司書。子どもの本が重要だと考えている人たちが、私たちの活動に賛同をしてくれたのです。こうして児童・ヤングアダルト図書協会は、さまざまな分野の会員に支えられながら積極的に活動を続けていくことになります。

──次回は、児童・ヤングアダルト図書協会の現在の活動についておうかがいしたいと思います。

「9月12日クーデター(12 Eylül Darbesi)」のこと。1980年、トルコ共和国で発生した軍事クーデター。1970年代終わりのトルコ共和国は、左派と右派の政治対立による政治テロの激化、インフレ、高い失業率を慢性的にかかえ、経済的に崩壊寸前だった。当時の二大政党、公正党(AP)と共和人民党(CHP)は手を打てず、政治的にも行き詰まりを見せていた。
当時、トルコ国軍参謀総長だったケナン・エヴレン(1917~2015)ら軍首脳陣が、この政治的経済的混乱の終息を図り、クーデターを敢行した。軍部はトルコ全土に戒厳令を発令し、国会を掌握した。憲法の停止、議会の解散、政党解党などの措置がとられた。軍事政権は、1982年に新憲法を制定し、その翌年1983年に民政移管がなされた。

 
 
 
 



Serpil URAL(セルピル・ウラル)
 
1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。
 


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