企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第5回

──今回は、翻訳についておうかがいします。ギュンウシュウでは、翻訳者は基本どのようにして選ばれるのですか?

Mehmet ERKUET(以下M・E) もっとも重視されるのは、翻訳者がトルコ語(つまり元の言語ですね)に堪能であるということです。語彙やいいまわしが豊富で、翻訳先の言語でも豊かな文学的表現が可能で、新語に強く、文化を繋ぐというギュンウシュウの信念を体現できるだけの、自国と他国の文化に深い知識をもち、それを正しく文章として構築する力が求められます。
同時に、翻訳者はすぐれた文学者であることも求められるわけです。編集者とともにさまざまなことを決定していく翻訳者には、柔軟な発想と、共同作業に取り組む姿勢、そして自己を顧みる能力を発揮してもらわなくてはなりません。それによって、原作の文章形態やことばづかいについて、その翻訳者がこれまでに培ってきたものや文章の傾向、好みや個性などが、翻訳の際にどのような反応を起こすかがわかってくるのです。

──ギュンウシュウの本が外国語に翻訳される場合、基本的に直接の翻訳になるのでしょうか?

M・E 私どもの作品は必ず、トルコ語から出版される国の言語に直接翻訳されます。あいだに別の言語を挟む二次訳は推奨しません。

──それは、トルコ語が堪能な人の数が、たとえばヨーロッパ各国で増えているということですか?

M・E 今の時点で「そうだ」というのはむずかしいですね。たしかに、文化や文学作品などの後押しによって国際的な舞台におけるトルコの影響力が広まれば、トルコ語を知る人は増えていくでしょう。トルコ作品の外国語訳が増えたことは、トルコ文学を知る外国の人が増えたことと関係あると考えられます。
トルコ作品の外国語訳、翻訳援助プロジェクト、世界的な舞台における受賞の増加は、トルコ語が「発信できる言語」「発信できる文化」として成長していくことを後押しし、トルコ語とトルコ文化が言語的に、また学術的に、個人的レベルでも世界になじんでいき、翻訳においても広まっていくことを予見させてくれます。トルコとの距離が言語的、文化的に縮まるということは、つまりヨーロッパにおいてトルコ語翻訳者の需要が高まり、彼らの重要性も増していくということです。そうなってくれることを望んでいます。

──最初の質問と重複しますが、トルコ語から外国語へ作品を翻訳する際、翻訳者には何が求められますか?

M・E やはり、母国語の能力がいちばんたいせつでしょう。翻訳者と編集者は、これから紹介する文化と、紹介される側の国民を、もっとも熟知しているわけです。それと同時に──最初のご質問の答えにプラスアルファと言えると思いますが──翻訳される作品の原作の言語、文化に加えて、原作の国──この場合トルコですが──の生活についても熟知していることが求められます。とくに、その国特有の要素が非常に豊富な作品を翻訳する場合、翻訳先と翻訳元、双方の言語を母国語とする翻訳者の共同作業が可能であれば、作品の精度はより増すと思いますし、その後のいい指標にもなると思います。

──それでは、逆に外国語からトルコ語に翻訳する場合、今現在、いっしょにお仕事をされている翻訳者は何人いらっしゃいますか?

M・E 約10名の、さまざまな言語の翻訳者と仕事をしています。基本的に、同じ翻訳者と長い時間をかけて仕事をするのを是としています。そうすることで、翻訳者と出版社のあいだに信頼関係ができあがりますし、より深い議論ができるようになりますから。正しいトルコ語で豊かな表現が可能かどうか、仕事への情熱、経験値、そして仕事を完結させるに十分な時間をとれるか──を基準に、翻訳をお願いしています。

──ギュンウシュウの作品で最初に外国語に翻訳された『こどもが五人、イスタンブルは五つ』は、代理店ではなくギュンウシュウ出版が自ら交渉をおこなったのでしたね。


©Günışığı Kitaplığı
ギュンウシュウの作品のなかから最初に外国語に翻訳された『こどもが五人、イスタンブルは五つ』

M・E そうです。ベトゥル・サユンの作品ですね。海外著作権、つまり翻訳権はギュンウシュウがもっています。ですから、ドイツとグルジアで同作品が翻訳・出版される際の権利交渉は、ギュンウシュウ自身でおこないました。

──その際の翻訳者は、トルコ語を知る現地の方だったのですか? また翻訳の際、何か問題は発生しましたか?

M・E ええ、1問目と4問目でお答えしたとおりの私たちの信念にしたがって、トルコ語ができる現地のかたが翻訳をしました。何の問題も発生しませんでしたよ。

──作品が外国語に翻訳されるにあたり、ギュンウシュウから先方へ特別な要望などはあるのでしょうか?

M・E 当方のシステムは、ある外国語版を出版することが決定したら、その国の中の1社のみと契約を結び、それ以降の翻訳作業に関しては、すべて先方に託すというかたちになっています。先方の編集作業には一切かかわることはできません。私たちにできることは以下の2点です。
まず、もっともふさわしい出版社を選択することです。これは、その出版社の実績、作品、作品に対する評価を分析し、編集者と──もし可能ならば──直接会って話すことで実現できます。
もうひとつは、トルコ国内で作品が発売されて後、読者のかたがたから私たちのもとに送られてきた質問や批評を先方に提示することです。ただ、そうした批評や意見をどれだけ取り入れるかというのは、出版社によって異なりますが。

──トルコ語から外国語への翻訳作業中に、内容上の質問などは先方から直接ギュンウシュウにくるのですか?

M・E 私の見たところ、翻訳者からの質問は、直接、作家に送られるほうが多いです──もちろん、その作家が存命ならばですが。ここでの出版社の役割は、仲介であり、スムーズなやりとりを手助けすることでしょう。今日では、インターネット上に情報を公開している作家や代理店が増加しましたから、向こうの翻訳者が直接、作家に連絡をとるのが非常に簡単になっています。とくにFacebookの存在は、個人間のやりとりを(時に、本人が望んでいる以上に)手軽にしています。翻訳が、作品の内容や主張などについて「出版社に問う」ことは、大きな確率で減少しています。

──ギュンウシュウの作品に興味があるけれども、トルコ語の翻訳者が見つけられない外国の出版社はどうしたらよいでしょう?

M・E まず、自国のトルコ語やトルコ文学学科、それがなければトルコ学がある大学の研究者に相談されるのがいちばんだと思います。もちろん、トルコ語ができることとその国の言語で文学的な表現ができることは必ずしもイコールではありません。しかし同時に、インターネット上の職業別、翻訳者のコミュニティや、個人的な経歴を掲載したFacebookのようなソーシャルメディアはますます拡大しています。インターネット上から必要とする人物を探すことは、そう困難ではないでしょう。ですから、トルコ語の翻訳者を見つけるひとつの方法として、ソーシャルメディアの活用をおすすめします。もし可能であるならば、先の質問でも述べましたが、トルコ語と翻訳される先の言語、両方にそれぞれを母国語とする翻訳者をそろえるのが理想です。こうして、トルコ語の作品が各国に広がってくれたら嬉しいことです。