企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第5回

このコラムを書くきっかけとなった、カラギョズ師のタージェッティン・ディケル氏。筆者がお話をうかがった2006年には84歳ということだったので、2012年のいまは89歳のご高齢になる。当時からリウマチをわずらっておられ、高齢ということもあって、残念ながらここ2、3年は、週末ごとのカラギョズの舞台にも立たれてはいない。しかし、「『カラギョズ』を子どもたちに見せるのが私の人生だからね」と語る笑顔は、いまでも変わっていないはずである。


サバンジュ高校の前に建てられた、タージェッティン氏の上演を知らせる看板

1 タージェッティン氏略歴


タージェッティン氏は、1923年イスタンブール生まれ。オスマン朝時代に最初に西欧教育をとり入れたトルコの名門校であるイスタンブール・エルケッキ・リセシを卒業後、ズィラート銀行に25年間勤務する。現役を退いて後、ハルク・エヴィと呼ばれるトルコの伝統芸能・芸術・スポーツ・社会学など、学校教育と並行して国民が教育を受けられる機関で、『カラギョズ』を習得する。
氏曰く。
「先生たちが操る人形の魅力のとりこになってしまったんだ。この芸術を伝えていくのが私の道だと、強く感じたんだよ」


タージェッティン氏は、ほんとうに楽しそうに『カラギョズ』を演じる

「第二の人生」としてカラギョズ師を選んだタージェッティン氏は、文化省主催の『カラギョズ』専門の教室や、イスタンブール大学の文学部芸術学科の『カラギョズ』のクラスなどで指導役を務めてきた。1974年からアク・バンク銀行の「人形劇・影絵芝居公演」で、2004年からは同銀行の「児童演劇公演」で、『カラギョズ』を続けてきた。
海外での公演も積極的に行い、フランス、ドイツ、オランダ、チュニス、キプロス、イタリア、オーストリアなどで『カラギョズ』を披露している。国際人形劇連盟(UNIMA/Union Internationale de la Marionnette)の会員でもあるタージェッティン氏は、UNIMAトルコセンターから、トルコ伝統劇に貢献したとして表彰されている。

2 タージェッティン・ディケル氏のある1日

2006年当時、タージェッティン氏が毎週日曜日に公演を行っていたのは、イスタンブールのヨーロッパサイド、ベシクタシュ地区にある、サーキップ・サバンジュ・アナドル高校のホールだった。その後、イスタンブールの中心街、ベイオウルのイスティクラール通りにあるアク・バンクの芸術振興のための多目的ホールに場所を移した。


サバンジュ高校の建つ、ベシクタシュのバルバロス大通り。下っていくと、ベシクタシュの船着き場に至る


ベシクタシュの船着き場前の広場には、赤ひげバルバロスとしてヨーロッパ人から恐れられた大海賊バルバロス・ハイレッディンの銅像が建つ。彼は、1500年代にオスマン朝の海軍提督として無敵を誇った

日曜日の朝8時30分、お弟子さんのエルダル氏とアイフェルさんを中心に舞台の準備が始まる。骨組みを組み立て、カーテンを吊るし、影絵の映る白いスクリーンをはめ込み、光源の電球を下げて、約40分で完成。やはりお弟子さんでアイフェルさんのご主人・ラミル氏は、音響セットを確認する。


3人のお弟子さんが協力して舞台を組み立てていく

その間に、タージェッティン氏は人形の準備に入る。人形に開けられた穴に「ソパ(Sopa)」という操り棒を差し込んでいくのだが、このとき、差し込む棒の先を水で湿らせる。「こうすると、滅多なことでは棒は抜けなくなる」のだそうだ。棒にはそれぞれに人形の名前が書かれ、どの人形にどの棒を使うのか、こと細かに決められている。


ソパをコップに入れた水に浸し、抜けないようにしっかりと人形にさしこむ


大蛇の人形を動かして点検。この人形はかなり激しい動きをするが、棒が抜けることはない


各人形の名が書かれたソパ。中央のものには「ナイトキャップつきカラギョズ」、下2本にはそれぞれ「カラギョズ肩」「カラギョズ腕」と書かれている

約40体の人形に棒をとりつけると、劇で使う順番に並べていく。舞台を組み立て終わった3人を集め、その日の劇の打ち合わせをして、準備は完了。すでに10時近くになっている。観客の子どもたちがやってくるのは10時半すぎ。それまでは、トルコ人には欠かせないチャイを飲みながら舞台裏でのんびりとすごす。
たいてい、チャイのほかに何か甘いものが用意されている。トルコ人は、老若男女問わず甘いものが大好きだ。チャイがあれば、基本的にその横には何か甘味がある。タージェッティン氏もクッキーなどを嬉しそうにつまんでおられた。

伝統的な『カラギョズ』の演目とは別に、日曜日の公演で氏は、現代トルコ語を用い、子どもたちのためにオリジナルの脚本を書き、上演している。「伝統的な『カラギョズ』は文化として大切で遺すべきものだが、21世紀のいま、オスマン語やかつてのいいまわしを理解できる人がいないなら、上演しても意味がない」というのが氏の意見。
「伝統的な『カラギョズ』は博物館で大切にするべきなのだよ。でもね、それだけでは足りない。『カラギョズ』は時代とともに生きている。21世紀には21世紀の『カラギョズ』が必要だ。現代のエスプリ、現代のことばを使って表現できなければ、『カラギョズ』は死んでしまう。よく、『カラギョズ』は死に瀕している、といわれるけれど、そんなことはない。そう思うのは、時代に沿って『カラギョズ』を生かしていこうとしない人たちだ。『死に瀕している』といって諦めてしまうのは、殺してしまうのと同じことだ」
今日までカラギョズとハジバットを生かし続けてきたタージェッティン氏の自負が感じられることばである。


タージェッティン氏のカラギョズは、21世紀に生きる。伝統を踏まえながらも、現代のカラギョズとハジバットに息を吹き込むのが、氏の使命

カラギョズ師が減り、風前の灯火といわれるトルコの『カラギョズ』。実際、ギリシャなどのほうがカラギョズ師の数は多いといわれている。しかし、チャイのグラスを握りしめてタージェッティン氏は、「まだまだ」という。こうして、現代の『カラギョズ』を演じていられる限りは、未来はあるのだと。

10時半すぎ、劇場前のロビーに子どもたちの声が聞こえ始める。集まるのは、オムツの赤ちゃんから小学生くらいまでの子どもたち。両親に連れられてきた子、先生に引率された30人ほどのクラスメート。そして、「昔の子どもたち」も姿を見せる。老夫婦や、若いカップル、30代・40代の友人グループがやってくる。

11時、劇場がほぼ満席になったころ、開演を告げるブザーが鳴り、タージェッティン氏が舞台に登場する。
「子どもたちも、昔の子どもたちも今日はきてくれてありがとう。ところでみんな、カラギョズは好きかな?」
というのが、氏の最初のことばだ。
客席の子どもたちからは、素直に「大好き!」という返事が返ってくる。「大好き! カラギョズも私のこと好きですか?」と真剣に聞く女の子もいる。
タージェッティン氏は心から嬉しそうに答える。「もちろん! カラギョズも君たちが大好きだよ」


上演前のあいさつに立つタージェッティン氏。子どもたちからは、元気にあいさつや質問がとぶ

上演は約1時間。歌や音楽はラミルさんが担当する音響セットから流れるが、効果音は、アイフェルさんがもつタンバリンがひとつだけ。そして、全登場人物の声をタージェッティン氏が担当する。
タージェッティン氏は2体の人形を同時に操る。しかし、ご本人も「私はタコじゃないからねえ」というとおり、登場人物が複数になるときにはエルダル氏たちが応援に入り、小さな舞台の前に数人が重なる光景も見られる。


お弟子さん3人と、タージェッティン氏、娘さんの計5人が小さなスクリーンの前に並ぶ。宴会で、楽団や踊り子、カラギョズとハジバットなど、複数の人形が一度に登場する場面

昼の12時、観客が引き上げてホールが空になると、舞台のあと片づけが始まる。組み立てには40分かかったが、片づけは10分ほどですむ。手早く舞台が解体され、袋に納められる。人形から棒をはずし、ひとまとめにしてタージェッティン氏のカバンの中へしまう。前にも述べたように、カラギョズの舞台装置が小さくなるのは伝統的なものだが、「ほんとうに小さくなるだろう」と、タージェッティン氏も自慢そうにしておられた。
自ら最後の点検をして、ホールの明かりを落とすと、この週の上演は終了する。


上演を終えて、深々とあいさつをする。この深い礼はどの上演でも変わらない


あと片づけはあっという間に終わる。骨組みから覆いまでが綺麗にたたまれ、かばんの中へ

アジアサイドにお住まいのタージェッティン氏は、ベシクタシュの船着場へと下る大通りをゆっくりと歩いて帰っていく。「また、来週」という笑顔と力強い握手を残して。


バルバロス大通りをゆっくりと歩いていくタージェッティン氏。かくしゃくとしておられるが、リウマチのため杖は手放せない

「これからのトルコに『カラギョズ』を遺す」と語り、現代のトルコ語でオリジナル作品を書き下ろして無料で毎週上演を続けてきたカラギョズ師・タージェッティン・ディケル氏。その精力的な活動以上に彼を魅力的に見せるのは、何度も繰り返されるこのことば。
「私はね、『カラギョズ』が大好きなんだ!」


暗い中にタージェッティン氏の姿が浮かび上がる舞台裏。「演じている最中がいちばん楽しい」という氏は、上演中ずっと笑顔で人形を動かし、声色をあてている

*  *


次回の最終回は、タージェッティン氏の公演にきていた子どもたちの様子を紹介する。