第6回
〈最終回〉
タージェッティン・ディケル氏の『カラギョズ』上演には、毎週、たくさんの子どもたちが訪れていた。劇の頭からどたばたで、子どもたちは笑いながら『カラギョズ』の世界に引きこまれていく。劇中の音楽も、トルコの民謡や舞踏、ジャズ、オペラとバラエティに富んでいる。音楽が流れると、スクリーンで踊る登場人物に合わせて、観客席から力いっぱいの手拍子が湧く。いっしょになって踊りだす子どもたちも見える。もともと音楽にはノリのいいトルコ人は、歌と踊りがあるとご機嫌になる。楽しめるとなったら躊躇しない。この舞台でも、年齢を問わず、観客はいっしょになって『カラギョズ』を心から楽しんでいる。とくに子どもたちは素直に反応する。力いっぱい笑い、スクリーンに声をかけ、あますところなく満喫する。
教室の体験学習でやってきた子どもたち。筆者がカメラを向けたのが悪かったのか、はしゃぎすぎて先生に叱られていた。心の中で先生に、「ご面倒をおかけして……」と謝る
トルコにも、テレビ番組やゲームがあふれ、当然、子どもたちの間でも広まっている。しかし『カラギョズ』は、今日のトルコ社会においてもなお、子どもたちを楽しませる力をもっている。
彼女は、お母さんの「座ったら?」という言葉も聞こえないくらいに、『カラギョズ』に夢中になっていた。音楽が始まると、もちろん踊る
タージェッティン氏の上演に訪れた何人かの子どもたちに、氏の許可を得て話を聞いた。
1 エリフ
エリフは、イスタンブールのアジアサイドに住む11歳の女の子。学校の宿題で、「トルコの伝統芸能について調べる」という課題が出たという。お父さんのイブラヒム氏とともに、タージェッティン氏にインタビューを申し込んだ。開演前の急な依頼だったが、タージェッティン氏は快く引き受けた。開演前の舞台裏にふたりを招きいれ、「さあ、座って。何でも聞いてください」。
エリフは緊張しているようで、最初は声が出てこない。タージェッティン氏から「落ち着いて、ゆっくり大きな声で聞いてくださいよ」と、助け舟を出された。イブラヒム氏も「エリフ、ちゃんと準備してきたから大丈夫だよ」と、後押しする。エリフがあまりに緊張しているので、無関係な筆者がいるのも申しわけない気がして、2、3枚写真を撮らせていただいてから、隅に引っ込んだ。ふたりに励まされ、無事にインタビューを終えたエリフは、やっと笑顔になった。
緊張のエリフ。手元に質問を用意してきたのに、すっかりあがってしまい、言葉が出てこなかった
上演までまだ時間があったため、インタビューを終えたエリフとイブラヒム氏に声をかけた。
「宿題のことをお父さんに相談したら、『カラギョズ』がいいよ、と教えてくれました。タージェッティンさんはすごく素敵な方です。優しいし、笑顔で質問に答えてくれて。会えてとっても嬉しかった。前にも『カラギョズ』は見たことがあるの。そのときはまだ小さくて、ただ楽しかっただけで、よく覚えていません。でも今日は、いろんなことが勉強できそうです。楽しみです」
エリフのお父さんイブラヒム氏は、大学教諭。残念ながらトルコ文化の専門家ではないそうだが、教壇に立っている人らしく、非常に簡潔に説明をしてくれた。
「以前、『カラギョズ』はラマザン(断食月)やバイラム(イスラム教の祝日)で上演されるものでした。オスマン朝時代には盛んだったのですが、私の子ども時代にはほとんど見られなくなっていましたね。初めて『カラギョズ』に出会ったのは、小学生時代。ラジオでなんですよ。テレビでも放送していたけれど、実際の舞台を見る機会はまったくありませんでした。大人になってから、タージェッティンさんの舞台を拝見しました。こういう伝統芸能を見せてくれる場所があちこちにあればいいのですが、いまのカラギョズ師の少なさでは難しいですね。トルコが共和国になるとき、ヨーロッパに追いつこうとして、あまりに多くの伝統を捨てすぎたと思います。子どもたちが触れることができない伝統芸術が多いことは、たいへん残念です」
エリフとお父さんのイブラヒム氏。仲のいい父娘。この後、エリフがカラギョズについてひとりで語るリポートを、ビデオに収めていた
イブラヒム氏は、20年前にラジオ番組の『カラギョズ』を録音したテープをいまでも大切にとってあるという。エリフも小さいころからそのテープを聞いて楽しんでいたそうだ。最後に「タージェッティンさんは、まちがいなくトルコで最高のカラギョズ師の一人です。あなたが取材先に氏を選んだのは、たいへん正しいと思いますよ」と太鼓判を押していただいた。
2 ヤームル
2007年夏に話を聞くことができた10歳のヤームルは、お父さんと妹といっしょに上演を見にきた。ヤームルは、タージェッティン氏のオリジナルの現代版台本が非常に気に入ったらしい。
「初めて見ました。ハジバットが気に入ったの。いろんなことを知っているし。でも、カラギョズも好き。(劇中で見る)カラギョズの夢もおもしろかった」
お父さんのレジェップ氏は、トルコ伝統音楽オーケストラの指揮者。自らの職業に関わる伝統芸能の話であるだけに、たいへんまじめな顔で語る。
「ぼくも子どものころ観ていたよ。テレビで、だけどね。だからいま、こうして子どもたちにトルコの伝統芸術を直に見せることができるのは、たいへんすばらしいことだと思いますよ。ぼくも伝統芸術に関わっているからね、新しいことを切り開くことも大切だけど、古いものにもおもしろさがあるってことを知ってもらいたいな」
ヤームル(左)と妹と、お父さんのレジェップ氏。体が大きいだけに、まじめな顔になると少々威圧感が増すレジェップ氏だが、笑うと急に優しい顔になる
3 ギュネシとエレム
ヤームルの次に答えてくれたのは、同級生の遊び仲間ギュネシとエレム。「これからサッカー観戦に行くんだ!」とワクワクしている。トルコではサッカー人気が非常に高く、他のスポーツの追随を許さない。「Fanatik(ファナティック/熱狂的)」というサッカーメインの新聞があるほどだ。だから、少年たちのサッカーへ向ける情熱は半端ではない。もちろん、それ以上に燃え上がるのが「昔の少年たち」であることは、いうまでもない。
エレムはクールな語り口だった。
「観るのは2回目。去年もきたよ。おもしろいよね。カラギョズとハジバットが口げんかするでしょ、あそこがおもしろいんだ」
伝統文化について学校で勉強したというギュネシの意見は、おそらくタージェッティン氏が目指すところにもっとも近い。
「トルコの伝統文化を自分の目で観るのって大事なんだって。でも、伝統文化っていうより、ふつうにおもしろいなと思って観てる。カラギョズとハジバットの口げんかに笑っちゃうんだ。あと、音楽もいろいろあっていいよ」
ふたりに付き添ってきたエレムのお母さんアスマンさんは、「『カラギョズ』はトルコの大切な伝統です。ちゃんと子どもたちに見せたいの。こういう場があることはとても大切だと思います」とのこと。筆者の質問にはまじめに答えたふたりが、突然サッカー選手の真似をしながら走りだすと、「ふたりとも、サッカー観戦前だから興奮しちゃって…」と苦笑いをしていた。このふたりを連れてサッカー観戦に行くと、グッタリくるのだそうだ。
左から、エレム、ギュネシ、エレムのお母さんアスマンさん。アスマンさんはタオルを持って、あちこち動きまわる息子たちの汗を拭き続けていた
4 アイビケ
アイビケは、タージェッティン氏のお弟子さんの一人、エルダル氏のお嬢さん。2007年当時、彼女も10歳だった。ときどき、手伝いにきていたのは知っていたが、いつも遠く離れたほうから小さく手をふる、はにかみがちな少女だった。それでも、話を聞くと小さな声だったが、答えてくれた。
「ときどき、お父さんときて、舞台のお手伝いをするの。私も将来『カラギョズ』をやってみたいです。カラギョズとハジバット、ふたりがそろっておもしろくなるから、どっちも大事だと思うの。タージェッティンさんはとてもすばららしい人です。尊敬しています」
少し恥ずかしそうに下を向いてしゃべるアイビケは、いまでも『カラギョズ』の稽古を続けているのだろうか。
ちなみに、エルダル氏は娘がかわいくてならないらしい。「アイビケ」という名前もエルダル氏がつけたそうで、古い名前だという。「『カラギョズ』ではなくても、将来、娘といっしょに舞台ができたら最高だね」と、目を細めていた。
アイビケとエルダル氏。アイビケは、エルダル氏が自慢にするのもよくわかる美少女だった。それでも父娘はよく似ている
タージェッティン氏が望んだように、子どもたちは21世紀の『カラギョズ』を楽しんでいた。そして、「昔の子どもたち」も、懐かしさとともに、子ども時代と同じ気持ちで『カラギョズ』にひかれている。
2006、2007年当時、話を聞かせてくれた子どもたちは皆、10歳前後だった。あれから6年。もう高校生になっているころである。大学や将来のことも見据えて視野も広がっていくなかで、彼らは『カラギョズ』を覚えているだろうか、と考える。経済的発展の著しい今日のトルコでは、入試システムも手伝って、成績優秀者は理系へ、将来稼ぐためには理系へ、という傾向が強い。日本では理系離れが進んでいるが、トルコは逆。著者の大学院の友人は、「理系と経済発展だけを重視していたら、トルコは別の意味で貧しい国になる」と、現状を憂いていた。
上演の最後は、老若男女問わず立ち上がっての拍手喝さい。将来、このなかの子どもたちの何人が、伝統芸術という文化遺産に目を向けるだろうか
メソポタミア文明に始まり、多くの文明の積み重ねの上に成り立つトルコ共和国には、遺跡などの保存も含め、複雑に絡み合った文化・伝統を後世に伝えていく責任もある。その豊かな歴史の流れのなかで生きる21世紀のトルコの子どもたちが、伝統芸能『カラギョズ』の楽しみ方を知っていることは重要であり、タージェッティン氏の純粋な「『カラギョズ』を愛し、残してほしい」という思いが具現化していく第一歩になるだろう。
今後、研究が進むにしたがい、アナトリアのさまざまな国と民族を巻き込んだカラギョズとハジバットの伝説は、新たに多くの事実と謎を提示していくことだろう。『カラギョズ』の楽しさを知ったトルコの子どもたちが、その謎に進んで巻き込まれ、解明に乗り出したとき、タージェッティン氏の活動はほんとうに大きな実を結ぶことになる。
カラギョズも楽しみだが、おやつ(手元のビニール袋)と友達とのおしゃべりも楽しみ
タージェッティン氏の瞳は、いつもカラギョズと子どもたちに向けられている
〈了〉
教室の体験学習でやってきた子どもたち。筆者がカメラを向けたのが悪かったのか、はしゃぎすぎて先生に叱られていた。心の中で先生に、「ご面倒をおかけして……」と謝る
トルコにも、テレビ番組やゲームがあふれ、当然、子どもたちの間でも広まっている。しかし『カラギョズ』は、今日のトルコ社会においてもなお、子どもたちを楽しませる力をもっている。
彼女は、お母さんの「座ったら?」という言葉も聞こえないくらいに、『カラギョズ』に夢中になっていた。音楽が始まると、もちろん踊る
タージェッティン氏の上演に訪れた何人かの子どもたちに、氏の許可を得て話を聞いた。
1 エリフ
エリフは、イスタンブールのアジアサイドに住む11歳の女の子。学校の宿題で、「トルコの伝統芸能について調べる」という課題が出たという。お父さんのイブラヒム氏とともに、タージェッティン氏にインタビューを申し込んだ。開演前の急な依頼だったが、タージェッティン氏は快く引き受けた。開演前の舞台裏にふたりを招きいれ、「さあ、座って。何でも聞いてください」。
エリフは緊張しているようで、最初は声が出てこない。タージェッティン氏から「落ち着いて、ゆっくり大きな声で聞いてくださいよ」と、助け舟を出された。イブラヒム氏も「エリフ、ちゃんと準備してきたから大丈夫だよ」と、後押しする。エリフがあまりに緊張しているので、無関係な筆者がいるのも申しわけない気がして、2、3枚写真を撮らせていただいてから、隅に引っ込んだ。ふたりに励まされ、無事にインタビューを終えたエリフは、やっと笑顔になった。
緊張のエリフ。手元に質問を用意してきたのに、すっかりあがってしまい、言葉が出てこなかった
上演までまだ時間があったため、インタビューを終えたエリフとイブラヒム氏に声をかけた。
「宿題のことをお父さんに相談したら、『カラギョズ』がいいよ、と教えてくれました。タージェッティンさんはすごく素敵な方です。優しいし、笑顔で質問に答えてくれて。会えてとっても嬉しかった。前にも『カラギョズ』は見たことがあるの。そのときはまだ小さくて、ただ楽しかっただけで、よく覚えていません。でも今日は、いろんなことが勉強できそうです。楽しみです」
エリフのお父さんイブラヒム氏は、大学教諭。残念ながらトルコ文化の専門家ではないそうだが、教壇に立っている人らしく、非常に簡潔に説明をしてくれた。
「以前、『カラギョズ』はラマザン(断食月)やバイラム(イスラム教の祝日)で上演されるものでした。オスマン朝時代には盛んだったのですが、私の子ども時代にはほとんど見られなくなっていましたね。初めて『カラギョズ』に出会ったのは、小学生時代。ラジオでなんですよ。テレビでも放送していたけれど、実際の舞台を見る機会はまったくありませんでした。大人になってから、タージェッティンさんの舞台を拝見しました。こういう伝統芸能を見せてくれる場所があちこちにあればいいのですが、いまのカラギョズ師の少なさでは難しいですね。トルコが共和国になるとき、ヨーロッパに追いつこうとして、あまりに多くの伝統を捨てすぎたと思います。子どもたちが触れることができない伝統芸術が多いことは、たいへん残念です」
エリフとお父さんのイブラヒム氏。仲のいい父娘。この後、エリフがカラギョズについてひとりで語るリポートを、ビデオに収めていた
イブラヒム氏は、20年前にラジオ番組の『カラギョズ』を録音したテープをいまでも大切にとってあるという。エリフも小さいころからそのテープを聞いて楽しんでいたそうだ。最後に「タージェッティンさんは、まちがいなくトルコで最高のカラギョズ師の一人です。あなたが取材先に氏を選んだのは、たいへん正しいと思いますよ」と太鼓判を押していただいた。
2 ヤームル
2007年夏に話を聞くことができた10歳のヤームルは、お父さんと妹といっしょに上演を見にきた。ヤームルは、タージェッティン氏のオリジナルの現代版台本が非常に気に入ったらしい。
「初めて見ました。ハジバットが気に入ったの。いろんなことを知っているし。でも、カラギョズも好き。(劇中で見る)カラギョズの夢もおもしろかった」
お父さんのレジェップ氏は、トルコ伝統音楽オーケストラの指揮者。自らの職業に関わる伝統芸能の話であるだけに、たいへんまじめな顔で語る。
「ぼくも子どものころ観ていたよ。テレビで、だけどね。だからいま、こうして子どもたちにトルコの伝統芸術を直に見せることができるのは、たいへんすばらしいことだと思いますよ。ぼくも伝統芸術に関わっているからね、新しいことを切り開くことも大切だけど、古いものにもおもしろさがあるってことを知ってもらいたいな」
ヤームル(左)と妹と、お父さんのレジェップ氏。体が大きいだけに、まじめな顔になると少々威圧感が増すレジェップ氏だが、笑うと急に優しい顔になる
3 ギュネシとエレム
ヤームルの次に答えてくれたのは、同級生の遊び仲間ギュネシとエレム。「これからサッカー観戦に行くんだ!」とワクワクしている。トルコではサッカー人気が非常に高く、他のスポーツの追随を許さない。「Fanatik(ファナティック/熱狂的)」というサッカーメインの新聞があるほどだ。だから、少年たちのサッカーへ向ける情熱は半端ではない。もちろん、それ以上に燃え上がるのが「昔の少年たち」であることは、いうまでもない。
エレムはクールな語り口だった。
「観るのは2回目。去年もきたよ。おもしろいよね。カラギョズとハジバットが口げんかするでしょ、あそこがおもしろいんだ」
伝統文化について学校で勉強したというギュネシの意見は、おそらくタージェッティン氏が目指すところにもっとも近い。
「トルコの伝統文化を自分の目で観るのって大事なんだって。でも、伝統文化っていうより、ふつうにおもしろいなと思って観てる。カラギョズとハジバットの口げんかに笑っちゃうんだ。あと、音楽もいろいろあっていいよ」
ふたりに付き添ってきたエレムのお母さんアスマンさんは、「『カラギョズ』はトルコの大切な伝統です。ちゃんと子どもたちに見せたいの。こういう場があることはとても大切だと思います」とのこと。筆者の質問にはまじめに答えたふたりが、突然サッカー選手の真似をしながら走りだすと、「ふたりとも、サッカー観戦前だから興奮しちゃって…」と苦笑いをしていた。このふたりを連れてサッカー観戦に行くと、グッタリくるのだそうだ。
左から、エレム、ギュネシ、エレムのお母さんアスマンさん。アスマンさんはタオルを持って、あちこち動きまわる息子たちの汗を拭き続けていた
4 アイビケ
アイビケは、タージェッティン氏のお弟子さんの一人、エルダル氏のお嬢さん。2007年当時、彼女も10歳だった。ときどき、手伝いにきていたのは知っていたが、いつも遠く離れたほうから小さく手をふる、はにかみがちな少女だった。それでも、話を聞くと小さな声だったが、答えてくれた。
「ときどき、お父さんときて、舞台のお手伝いをするの。私も将来『カラギョズ』をやってみたいです。カラギョズとハジバット、ふたりがそろっておもしろくなるから、どっちも大事だと思うの。タージェッティンさんはとてもすばららしい人です。尊敬しています」
少し恥ずかしそうに下を向いてしゃべるアイビケは、いまでも『カラギョズ』の稽古を続けているのだろうか。
ちなみに、エルダル氏は娘がかわいくてならないらしい。「アイビケ」という名前もエルダル氏がつけたそうで、古い名前だという。「『カラギョズ』ではなくても、将来、娘といっしょに舞台ができたら最高だね」と、目を細めていた。
アイビケとエルダル氏。アイビケは、エルダル氏が自慢にするのもよくわかる美少女だった。それでも父娘はよく似ている
タージェッティン氏が望んだように、子どもたちは21世紀の『カラギョズ』を楽しんでいた。そして、「昔の子どもたち」も、懐かしさとともに、子ども時代と同じ気持ちで『カラギョズ』にひかれている。
2006、2007年当時、話を聞かせてくれた子どもたちは皆、10歳前後だった。あれから6年。もう高校生になっているころである。大学や将来のことも見据えて視野も広がっていくなかで、彼らは『カラギョズ』を覚えているだろうか、と考える。経済的発展の著しい今日のトルコでは、入試システムも手伝って、成績優秀者は理系へ、将来稼ぐためには理系へ、という傾向が強い。日本では理系離れが進んでいるが、トルコは逆。著者の大学院の友人は、「理系と経済発展だけを重視していたら、トルコは別の意味で貧しい国になる」と、現状を憂いていた。
上演の最後は、老若男女問わず立ち上がっての拍手喝さい。将来、このなかの子どもたちの何人が、伝統芸術という文化遺産に目を向けるだろうか
メソポタミア文明に始まり、多くの文明の積み重ねの上に成り立つトルコ共和国には、遺跡などの保存も含め、複雑に絡み合った文化・伝統を後世に伝えていく責任もある。その豊かな歴史の流れのなかで生きる21世紀のトルコの子どもたちが、伝統芸能『カラギョズ』の楽しみ方を知っていることは重要であり、タージェッティン氏の純粋な「『カラギョズ』を愛し、残してほしい」という思いが具現化していく第一歩になるだろう。
今後、研究が進むにしたがい、アナトリアのさまざまな国と民族を巻き込んだカラギョズとハジバットの伝説は、新たに多くの事実と謎を提示していくことだろう。『カラギョズ』の楽しさを知ったトルコの子どもたちが、その謎に進んで巻き込まれ、解明に乗り出したとき、タージェッティン氏の活動はほんとうに大きな実を結ぶことになる。
カラギョズも楽しみだが、おやつ(手元のビニール袋)と友達とのおしゃべりも楽しみ
タージェッティン氏の瞳は、いつもカラギョズと子どもたちに向けられている
〈了〉