企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第4回

カラギョズとハジバットの伝説の舞台となったブルサ。トルコの北西部に位置するブルサ県の県都で、イスタンブールからは高速フェリーで2時間ほどで行くことができる。
もとは、古代都市キオスがあったが、紀元前202年にマケドニア王フィリッポスⅤ世(B.C.238~B.C.179)から、ビュテニア王プルシアスⅠ世(~B.C.182?)に与えられた。プルシアスの名にちなんで、最初はプルサと名づけられたといわれている。


スキー場でもあるウル山の山麓に位置している。とくに旧市街には緑が豊かで、古くから「緑のブルサ」と呼ばれている

1 カラギョズとハジバットの足跡

旧市街の中心に建つのが、カラギョズとハジバットが伝説のなかで建築に関わったとされた、ウル・ジャーミー。真四角につくられたジャーミーは、20の小さな丸天井で覆われている。ブルサ旧市街の高いところから見下ろすと、その重厚な姿がよくわかる。


2本のミナーレ(尖塔)が見える建物がウル・ジャーミー。旧市街の中心地に建っている

当初は小さな僧坊(僧侶の寝起きする宿舎)として建てられた。後にジャーミーとして使われるようになり、オルハン・ガーズィーの孫、第四代オスマン皇帝バヤズィトⅠ世(1360~1403)によって長い期間をかけて改装されたという。説教壇の上には、「雷帝バヤズィトによって、1399年に建てられた」と記されている。残念ながらオルハン・ガーズィーによる建築ではないようだが、最初に僧坊をジャーミーとして使い始めたのは、オルハンだったかもしれない。


きれいに切り出された石で壁が積まれている。カラギョズとハジバットはいなかったかもしれないが、当時の腕のいい職人たちが工事に携わった

ジャーミーには中庭があって、その中央に泉がつくられていることが多い。しかし、ウル・ジャーミーは建物の中に泉が引かれる不思議なつくりをしている。泉の真上の天窓から光が差していて、外の重厚なつくりにしては中は明るく、広々としている。


ウルジャーミーの中の泉。上からの光が美しい。少し前まで改修中だったが、きれいになって再登場した

ウル・ジャーミーのすぐ近くに、エスキ・アイナル・チャルシュ(古い鏡のバザール)というバザールがある。ここはかつてハマム(トルコ式公衆浴場)で、1339年に、正真正銘オルハン・ガーズィーによって建てられた。イスラム学院に所属する者たちの健康のために、オルハンが建築を命じたという。その後3回ほどの修復を経て、最終的に1962年にバザールに改装された。いまでは骨とう品店が多く並んでいる。このバザールは、アイナジュラル・チャルシュ(鏡屋のバザール)またはカラギョズ・チャルシュという名でも知られている。名前の由来は、最後の改装の後にやってきた商人が、バザールの壁中に鏡を下げたからだといわれている。
そして、カラギョズ・チャルシュの名のもとになったのが、骨とう品店の中の1軒、カラギョズ・アンティークショップ。1963年にブルサの別のバザールで始まった店は、1970年にこのバザールに移ってきた。店長さんは、R・シナーシ・チェリッキコル氏。じつはタージェッティン氏のお弟子さんで、カラギョズの人形師でもある。トルコ伝統芸能協会、国際影絵協会などの会員でもあるシナーシ氏は、ブルサ県のカラギョズ博物館の開館にも尽力した。


シナーシ氏のカラギョズ。少し前に交通事故に遭われたとかで、この日は首にコルセットが。「カッコわるいからね」とお顔の写真は撮らせてもらえなかった

お店の中には小さなスクリーンがあり、お客が集まると「カラギョズ」を上演してくれる。カラギョズ博物館はブルサの旧市街から少々遠いが、エスキ・アイナル・チャルシュは地下鉄の駅から歩いていくことができる。なにより、カラギョズとハジバットの伝説に出てくるオルハン・ガーズィーが建てた建物の中で、「カラギョズ」を今日に伝える名人によるふたりのかけあいを観ることができるのは、ブルサならではの楽しみだ。

2 オルハン・ガーズィーの廟

オルハン・ガーズィーは、ブルサを見下ろすトプハーネという小高い地区に建てられた廟に眠っている。ここは公園になっていて、入口を抜けるとすぐ右手にオルハンの廟がある。ビザンチン時代の聖エリー教会の上に建てられた。廟には妻のニリュフェル・ハトゥン、息子のカスム・チェレビがいっしょに埋葬されている。


オルハン・ガーズィーの廟。すっきりしたつくりになっている

オルハン廟の向かい、入口の左側には、オルハンの父オスマン・ガーズィーの廟がある。最初は息子オルハンと同じ廟に葬られていたが、1855年の地震でオルハン廟が崩れ、修復されたとき、第33代皇帝アブドゥルアズィズ(1830~1876)によって、別に廟が建てられた。


息子の向かい側に建つ、オスマン・ガーズィーの廟

トプハーネ公園のすぐ近くには、ブルサ城といわれる砦が残る。ビュテニア時代からローマ、ビザンツを経てオスマン朝時代まで要塞として使われていた。いまは外壁のみが修復されて残っている。もと要塞内だった地区には、古いブルサの街並みが残っていて、昔の邸宅を改造したホテルもある。たぶんオルハン・ガーズィーも、ブルサを攻め落としてからは、ここを拠点に領土を広げてきたはずである。


修復されたブルサ城の門。内側に建物は残っておらず、民家が並ぶ市街地。城壁の上は歩くことができるようになっている

3 ブルサロケの映画

カラギョズとハジバットの映画が、2005年、ブルサ南部の市オルハネリで撮影された。タイトルは、『ハジバットとカラギョズ~なぜ殺された?』というミもフタもないもの。オルハネリは「オルハンの県」という意味で、オルハン・ガーズィーの統治以降、土地の名前がついた。「カラギョズ」のロケ地にはふさわしい。


(©2006 İFR İSTİSNAİ FİLMLER ve REKLAMLAR SAN. ve TİC. A. Ş., ©2006 Palermo Film Ltd. Şti. Türkiye Video Hakları Saklıdır.)
映画のポスターにもなったDVDの表紙。人形と同じポーズを決めているが、服の色味は逆になっている。左がカラギョズ、右がハジバット

映画の舞台は14世紀。アナトリアの国々や住民たちはモンゴルの攻勢に悩まされていた。遊牧民のカラギョズは、モンゴルの税の徴収から逃れ、母のカム・アナとともにブルサへやってきた。学はないが判断力はあり、怒ったときの言動で周囲を笑わせる。ブルサで仕事を探すことになると、カム・アナは「石の秘密」としてセメントのつくり方を息子に教える。これによって、カラギョズは問題のジャーミーの建設に巻き込まれることになる。
ハジバットは、国々の間を走りまわる伝令だった。口八丁手八丁、楽しいことが大好きで、金儲けのチャンスは逃さない。ハジバットは、ハメをはずしすぎた罰として、ルーム・セルジュークから派生したエシレフオウル侯国の君候スレイマンから、当地のモンゴル監督官デミルタシュへの友好の品を届ける役目を命じられる。ところがそれはスレイマンに使える宰相(ペルバーネ)の陰謀で、結局、エシレフオウル侯国はモンゴルに攻め込まれてしまう。ハジバットもモンゴル軍から慌てて逃げだし、ブルサへとやってくる。
ハジバットがカラギョズの牛を買ったことで、ふたりは知りあう。カラギョズに人を笑わせる天性があることを見抜いたハジバットは、そのチャンスにとびつき、売れないギリシャ人の劇団と組んで、金もうけを計画する。
オルハン・ガーズィーは、ブルサに自分の力を示すためにジャーミーを建てていたが、工事はすすまない。カラギョズからセメントのつくり方を知っていると聞いたハジバットは建築現場に売り込み、現場監督と責任者のシェイフ・キュシュテリーに認められる。こうしてふたりは、ジャーミー建設に関わった。


(©2006 İFR İSTİSNAİ FİLMLER ve REKLAMLAR SAN. ve TİC. A. Ş., ©2006 Palermo Film Ltd. Şti. Türkiye Video Hakları Saklıdır.)
ブルサに凱旋したオルハン・ガーズィー。前回の肖像画よりも、こちらのほうが実際のオルハンに近いのではないだろうか。演じているのはラグプ・サヴァシュ

一方で、「コメディアン」としてもブルサで名が売れはじめたふたりは、モンゴルのエシレフオウル侯国への攻撃の原因となったペルバーネがブルサにおり、オルハンの妻ニリュフェル・ハトゥンにとり入っていることを知る。彼の過去の悪事を暴露しようとするが、オルハンの周囲の権力者にわいろを贈っていたペルバーネのさしがねでジャーミー建築の遅れの濡れ衣を着せられ、処刑される。


(©2006 İFR İSTİSNAİ FİLMLER ve REKLAMLAR SAN. ve TİC. A. Ş., ©2006 Palermo Film Ltd. Şti. Türkiye Video Hakları Saklıdır.)
刑場へしょっぴかれるふたり。なぜこんなことになったのかわからないまま、道すがら滑稽なかけあいを繰り返し、物見高い群衆を笑わせる

映画は、さまざまな民族や宗教が混在し、流動的だった当時のアナトリア地方の様子をよく描いている。たとえば、ブルサ警備隊長キョシェ・ミハルの娘で、カラギョズに恋をするアマゾンを思わせる勇猛なアイシェ・ハトゥンは、キリスト教徒。父も以前はキリスト教徒だったが、オルハンの元に下るにあたって、イスラム教に改宗した。娘を守るための行動だったが、アイシェは、母の思い出とともにキリスト教というよりどころを捨てた父に怒りを覚えている。
オルハン廟がかつて教会だったように、いまでもブルサには多くの教会が残る。325年に宗教会議が開かれたニカイアはすぐ近くにあり、キリスト教徒も多く暮らす地域だった。そこへ、イスラム教徒のオスマン朝が入ってきたのである。また、市場のシーンでは、さまざまな民族衣装をまとった人々が行き交い、アナトリアが混とんとしていたことを表現している。イスラム導師とギリシャ正教の僧侶の布教合戦などもはさみ込まれている。
さらに、カラギョズとハジバットを演じる俳優陣が、じつにぴったりとはまっている。カラギョズ役は、ハルク・ビルギネル。舞台演劇出身で、コメディもシリアスもこなすベテランだ。まず、彼の声がカラギョズそのもの。ガラガラ声でどすが効いているが、どこか舌足らずな話し方は影絵のカラギョズと同じである。また、ひげがとにかく濃い(トルコの人は基本的に濃いが)。見た目も完ぺきなカラギョズ役になっている。
ハジバットを演じるのは、ベヤズット・オズトゥルク。こちらは、演技も司会も何でもこなすマルチタレント。歌もうまい。顔のつくりも派手で(トルコの人は基本的に派手だが)、早口なのに口元だけでなく顔全体が動くという話し方は、口八丁のハジバットに向いている。


(©2006 İFR İSTİSNAİ FİLMLER ve REKLAMLAR SAN. ve TİC. A. Ş., ©2006 Palermo Film Ltd. Şti. Türkiye Video Hakları Saklıdır.)
オルハンの前で滑稽なかけあいを演じるふたり。たいまつの炎で、城の壁にふたりの影が大きく映し出されるのはこの場面。右側の女性が、アイシェ・ハトゥン。演じているのはシェブネム・ドンメズ

ふたりのかけあいのシーンなどには、光と影がうまく使われ、壁に移った影同士が話すのは美しい。2006年の公開後には、アンカラの映画祭でビルギネルが最優秀主演男優賞、監督のエゼル・アカイも最優秀監督賞に、美術スタッフが美術監督賞に選ばれるなど評価は高い。しかし、残念ながら日本で公開しても、前もって知識がなければ楽しめないだろう。それでも、カラギョズとハジバットを少しでも知っている人なら画面を見るだけでも楽しいかもしれない。それほどに、「カラギョズ」の伝説と影絵の雰囲気をよく表した映画である。


伝説のウル・ジャーミーの中では、今日も祈りがささげられている

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次回は、このコラムの原点に戻り、カラギョズ師タージェッティン・ディケル氏の活動を紹介する。