半世紀以上前、小学2年ではじめて宮沢賢治の「オツベルと象」に出会った。担任の朗読で、イネコギ器械が「のんのんのんのんのんのん」と音を立てるという下りを聞き、うちにある脱穀機のことをおもった。足踏みミシン式の板を踏むと、ワイヤーをハリネズミの針のように埋め込んだ、ビール樽型のドラムが回転する。その音が、作者には「のんのん」に聞こえるという。そうかもしれない。けれども、いったんハリネズミの針に穀物の束を当てたとたん、のんのんは、象仲間の足音のグララアガアにも似た大騒音に変わる。
つまり、のんのんは、器械が仕事をはじめる前の、無数の針が奏でる静かな風切り音なのであり、ぼくの家で、それは仏壇に向かって手を合わせる際の幼い祈りの声であった。
10年後、大学で演劇サークルに入り、木下順二の民話劇「彦市ばなし」の演出助手を割り振られた。彦市という目端の利く若衆が、殿様を巧みにだまして高価な餌をせしめる痛快な民話である。当時、学生運動の台風が全国の大学を吹き渡っていた。民衆は支配層にどう抵抗すべきか、これはその見事な物語化の成功例だと、先輩演出家は力説した。
「オツベルと象」が、彦市の研究材料として挙げられた。気のいい象は労働者、オツベルは資本家で、これもまた階級闘争の物語だと先輩はいう。賢治の切ない寓意を黙殺して、物語に姑息な使命を負わせたのは、先輩ではなくて、時代だった。
それからまた幾十年が過ぎた。今、のんのんのんのんのんのんは、命への祈りにも聞こえる。ぼくはようやく、賢治が込めた声を受けとめることができたとおもう。
●松田悠八(まつだ・ゆうはち)
出版社勤務時代に編集した中から1冊、『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』を紹介させていただきたい。100冊ほど担当した中で、唯一100万部を超えた本である。初版は1920年。南太平洋の小島の酋長が欧州を旅して島へ帰り、「あんなふうになるのはよそう、私たちは今のままでじゅうぶん幸せだから」と島人に訴える。文明批評の目が新鮮な珍書で、いまだにそれを超える視点には出会っていない。
著書に『長良川 スタンドバイミー1950』『長良川 修羅としずくと女たち』(いずれも作品社)、『円空流し』(冨山房インターナショナル)。
■わたしがくりかえし読む本
『日本文学史序説』加藤周一
●ここに出てくる本
『オツベルと象』
●宮沢賢治/作
●井上洋介/絵
●フォア文庫
「彦市ばなし」
〈『夕鶴・彦市ばなし 他二編
木下順二戯 曲選Ⅱ』〉所収
●木下順二/作
●岩波文庫
『パパラギ
はじめて文明を見た
南海の酋長ツイアビの
演説集』
●岡崎照男/訳
●立風書房
『長良川
スタンドバイミー1950』
●松田悠八/著
●作品社
『長良川
修羅としずくと女たち』
●松田悠八/著
●作品社
『円空流し』
●松田悠八/著
●冨山房インター ナ ショナル
『日本文学史序説』
(上・下)
●加藤周一/著
●ちくま学芸文庫