父方の祖母千代(明治26年生まれ)は、私が、講談社の絵本『孝女白菊』を知る前に、落合直文の「孝女白菊の歌」をゆっくりと歌唱して聞かせてくれた。そして、その粗筋を幼い者にもわかるように語ってくれた。
〽︎阿蘇の山里 秋ふけて ながめさびしき 夕まぐれ
いづこの寺の 鐘ならむ 諸行無常を つげわたる
をりしもひとり 門に出て
父を待つなる 少女あり……
哀調を帯びた歌唱は幼い心にも沁みた。祖母がどうしてこの詩を歌唱できるようになったのかは知るよしもない。以下は後に読んだ絵本の筋書きである。──菊の花むらの中に捨てられていた女の嬰児は慈悲深い武家の夫妻に拾われ、白菊と名づけられて大切に育てられる。白菊13歳の年、父は西南戦争で行方不明となる。残されたふたりは阿蘇に移り住むが、母は間もなく病死。その折、ひとりの兄がいるから兄と結ばれるよう言い残す。紆余曲折の後、僧となっている兄にめぐり会う。富田千秋の絵は総じてみごとだが、兄昭英の僧となった姿は凜凜しく美しい。それは私の心に折々甦った。不明だった父にも会えたのだが──この物語を読んだり、思い返したりするたびに私の心にはいつも深い哀調が響いた。そして、絵本を開くたびに祖母のゆったりとした詠唱がテーマ・基調音のように耳底に甦った。白頭になった今でも響いてくる。
祖母と私を結んだ哀感は、日中戦争で息子を亡くした祖母と、戦死した父の顔すら知らない孫の私を、この物語が結んだものかもしれない。
五十代になり、江藤淳の『なつかしい本の話』の中にも『孝女白菊』があるのを知って驚いた。それを読んだ折にも祖母の詠唱は甦ってきた。
●野本寛一(のもと・かんいち)
1937年、静岡県生まれ。近畿大学名誉教授。日本民俗学。白頭になってもフィールドから学ぶことばかりです。
■わたしがくりかえし読む本
柳田国男『木綿以前の事』
●ここに出てくる本
講談社の絵本『孝女白菊』
●千葉省三/文
●富田千秋/絵
●講談社
『なつかしい本の話』
●江藤淳
●新潮社
『木綿以前の事』
●柳田国男
●岩波文庫