回り合わせが悪く、「モノが無かった時代」と重なるために、軍国物を除くと印象に残っている子どもの本はあまりない。漠然と思い浮かぶのが本箱の棚である。そこには、叔父や叔母の本も混じり、不揃いの文学全集や、詩集、歌集、画集などが雑然とあった。
ぼくは、本の内容的な記憶より、装本形体の記憶に偏るらしく、岩波の『漱石全集』の赤い地紋や、改造社の『現代日本文学全集』のカラフルなアール・デコ風な模様にひかれていた気がする(いずれも昭和3年の刊)。
背のタイトルだけの記憶では、何故かホグベン『百万人の数学』と『神曲』が並んでいて脈絡のなさで可笑しいのだが、そんな棚に紛れ込んでいた粗悪な紙質の薄い一冊に、イリーン*の『書物の歴史』(昭和18年刊)があった。これは「文学と書物の歴史」を簡潔におもしろく述べた青少年向けの本で、挿絵があったことから、ぼくの潜在意識の網にほんの少しひっかかったままずっと忘れていた。
その後、数十年が過ぎて、拙作『本のれきし5000年』をかいていた頃、手にいれた研究資料のなかに『書物』があった。この本を読みはじめてすぐに、かって少年の日にみた『書物の歴史』を思い出した。それは、同一原本からの訳者が別の、更に旧い昭和9年刊行の書であった。『書物』の方が、絵の印刷も鮮明で、戦時下のざら紙本とは大きな違いがあったのだが、挿絵から遠い記憶がよみがえってきて妙に懐かしく嬉しかった。
*イリイン(イリーン)・ミハイル(1895~1953)
工業技術者から作家に。物の歴史や、道具の仕組みをテーマとした若い人向けの作品などがある。兄が詩人で劇作家の、児童文学作品も多い著名なマルシャークである。
●辻村益朗(つじむら・ますろう)
ブックデザイナー。一般書から絵本までのデザインのほか、書物に関わる歴史や印刷などの研究をしている。
著書に、『本のれきし5000 年』『かいぶつぞろぞろ』(福音館書店 )などがある。
■わたしがくりかえし読む本
『落穂ひろい』(上・下)
『ロマネスクの図像学』( 上・ 下)
数年前に 蔵書を大減量したこともあり、最近は目の疲労をさけ、あまりくりかえして読まないのですが……強いてあげるなら、これらの研究書くらい。
●ここに出てくる本
『書物の歴史』
●エム・イリーン/著
●八住利雄/訳
●東寶書店(昭和18 年)
* 後年に探して入手した本。最初買った本は昭和3年刊の弘文荘版で、こちらはイーリン著とある 。
『本のれきし5000年』
●辻村益朗/著
●福音館書店
『落穂ひろい』 (上・下)
●瀬田貞二/著
●福音館書店
『ロマネスクの図像学』 ( 上・ 下)
●エミール・マール/著
●田中仁彦ほか/訳
●国書刊行会