―イスタンブルでは、以前からアフリカからの移民も多く見られましたし、その後はシリアなどからの難民も増えました。今日のイスタンブルの状況はまた変わっているでしょう。改めて本作『石炭色の少年』と同じようなテーマで作品を書くとしたら、また別の視点が必要になりそうでしょうか
M・İ:絶対的に必要ですね。トルコの中でも、特にイスタンブルには、非常に多くの民族が流れこんできています。トルコにおいて経済危機が発生したのち、例をあげれば、裕福なアラブ人がもたらす外貨が非常に重要視されるようになりました。これもあって、外国人に対し、より穏健な路線が引かれるようになったと思えます。しかし、何も持たない移民、難民に対して変化したところはなにもありません。
―大陸間の架け橋を目指した2018年のIBBYイスタンブル大会が中止になった(※1)のは残念でした。この作品は、テーマにかなった1冊として大切だったと思うのですが
M・İ:まったくそのとおりです……。政治的なものが、芸術の豊かさや目標をいまだに制限する。これも、その一例だとも思います……。
―冒頭で、難民を「迷子みたいなもの」とサリフに言わせていますが、どういった意味ですか
M・İ:迷子には、身を守ってくれる「自分の家」と呼べるものがないからです。迷子はすべてのものの外がわに存在し、外れたところに放り出されているからです。
―入国警備官の立場のひとに「かかし」という名称をつけたのは秀逸だと思います。敵役に置かれましたが、実際では我々が暮らす国を水際で守っている職業でもあります。そこを敵役にする際、何か考えることはありましたか
M・İ:悪とは、しばしば公的文書や政治的なものに盲目的に従順であること、とも言えます。指揮命令系統に諾々と従うこと、とも。この作品の敵役はそれゆえに「悪」なのです。彼らは、自分自身の意思を示す能力に欠けているのです。この作品では、そのように位置づけました。
―この作品は一方で、自身の在り方をそれなりに確立させているサリフによって成長をうながされるベフチェト先生(※2)の物語であるということもできると思います
M・İ:そのとおり、サリフは時として、ベフチェト先生に進むべき道を示します。だれもがサリフのように自身の力で立てるわけではないのです! ベフチェト先生がサリフから学ぶことはたくさんあります。彼は、物語の中でゆっくりとそれを知っていくのです。
―ベフチェト先生は父親といい関係を築けない自分を嫌悪しています。サリフと出会ったことで、先生は自分を変え、父親との関係にも変化が訪れます。そう見ると、この作品はひとりの難民の少年の揺らがぬ強さを描くことで、彼と偶然に出会うことになった人びとの人生をも描いているのですね
M・İ:そのとおりです! もちろんサリフ自身も変化していきます。フランスへ行き、世界に出たとき(※3)に、彼はきっとまた別の人間になることでしょう。しかし、トルコで別れてきた人々に大きな影響をもたらしたことは、ずっと残るのです。
●ミュレン・ベイカンのひとこと
―社会的なテーマの作品です。児童書として刊行するにあたり、内容や文章の運びにアドバイスはなさいましたか
作家と原稿について話し合うのはもちろん、彼らが原稿を完成させるためにこちらの考えを共有し、時には対立することもあります。この作品に関していいますと、ミュゲ・イプリッキチは非常にしっかりとした構成と、興味深い肉付けを行い、豊かで感情を動かす物語を手にしてやってきたわけです。難民について、特に子どもの難民の現実について話し合い、彼らの苦しみやつらさを小さな読者に説明するためには、繊細なことばの選択が必要になってくる、という点で合致しました。ミュゲは慎重に作業を進め、大変難しい原稿を完成させました。
日本語でもみなさんに読んでいただけたらいいのに、と心から思います。わたしがなぜ、この作品を「叙事詩」と表現したのか(訳注:第12回参照)を感じていただきたいのです。
※1:トルコでは2016年に、軍部のクーデター未遂、空港での大規模テロが発生し、国内の混乱が続いていた
※2:ベフチェト先生は、作品に出てくる小学校の音楽教師。サリフを学校のオーケストラに加え、なんとか守ろうとする
※3:サリフは母親とマリを出てきたが、先に国を出た父親とフランスで合流すると約束していた
●著者紹介
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
©Müge İplikçi
Müren Beykan
(ミュレン・ベイカン)
1979年、イスタンブル工科大学を卒業。1981年、同大学建築史と修復研究所で修士を、2004年にはイスタンブル大学の文学部考古学部で博士を修める。博士論文は、2013年、イスタンブル・ドイツ考古学学会によって書籍化された。1980年以降は、1996年にイスタンブルで開催されたHABITAT II(国連人間居住会議)のカタログの編集など、重要な編集作業に多く参加する。
1996年、ギュンウシュウ出版創設者のひとりとして名前を連ねる。現代児童向け文学、ヤングアダルト文学の編集、編集責任者、発行者として活動する。ON8文庫創設後は、ギュンウシュウ出版と並行して、こちらの編集責任者も務めている。
(写真は、ミュゲ・イプリッキチのYouTubeチャンネル「オリーブの枝」に出演したときのもの)
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)