―ミュゲさんの最初の児童向け作品『とんだ火曜日』(2010)についておうかがいします。どのようなおはなしですか
M・İ:毎週火曜日に開かれる、ありとあらゆるものを売っている露天のパザル(注1)が舞台になっています。舞台にしたパザルは、私が物心ついたころにはもうありました。でもいまは、子ども時代の場所にはありません。移動してしまいました。私は、かつてのパザルの場所からおはなしを想起して描いています。パザルの人ごみの中で迷子になった、ひとりの少女のおはなしです。
―ミュレン・ベイカンさんのお話では、児童書について研究をされたのち、大きく物語を変更されたとありました
M・İ:この作品を最初に書いたときは、本当にざっくりとした粗いものでした。あとから、登場人物像や、おはなしの舞台をつけ加えていったわけです。物語を広げ、肉付けしました。この作業に約1年かかりました。
―結果として、どのような点を変更されましたか
M・İ:パザルの描写を新たにし、付け加えました。会話を詳細にしました。主人公スィベルが迷子になる場面をよりドラマチックにしました。もともとは、スィベルが「長い夢を見ていた」というだけの設定でしたが、その夢があたかも本当に起きた出来事であるかのように書き直しました。読者の子どもたちも、この場面を好きになってくれたようです。
―サル・パザル(火曜市)がおはなしの舞台ですが、ここを選ばれた理由とは
M・İ:私の子ども時代を象徴する場所なんです。母は働いていたので、私を祖母―自分の母親ですね―に預けていました。祖母と祖父の家は、当時のサル・パザル(注2)の一本裏の道にあったのですが、祖母はそれはもう、サル・パザルを愛していました! 一日に5、6回は足を運んでいたでしょうか。火曜日になると、祖母はパザルで過ごし、私はその後ろをついて歩いていた、というわけです。あのころはまだ学校に上がっていなくて、パザルで遊んでいたんですね。
―サル・パザルでの思い出があれば聞かせてください。いまでもパザルの空気はお好きですか
M・İ:祖母を思い出すと、サル・パザルも一緒に出てきます! 店の人たちと延々とおしゃべりをしていました。サル・パザルはあれほど広い場所だったのに、信じられない数の店主と知り合いだったんですよ。おしゃべりをしては、値段交渉していたのを思い出します。
私が「パザルの空気が好き」と気がついたのは、あとになってからです。あの空気の中で生きていた時代には、まったく気がつかなかったことでした。そして、『とんだ火曜日』を書いているとき、この「好き」がまた大きく動きました。『とんだ火曜日』を書くための力の源は、この気持ちだったのだと思います。あの時代のあの日々を、自分がとても愛しているのだ、ということを深く理解しました。
●ミュレン・ベイカンのひとこと
―『とんだ火曜日』の挿絵を、ムスタファデ・デリオールに依頼した理由を教えてください
ムスタファ・デリオールとは、以前も児童書の仕事でご一緒したことがあります。彼は単に表面上の線をなぞるだけではなく、物語の本質をとらえることのできる画家です。また、作業スケジュールに忠実に、物語の内容に集中して、手早く仕上げるひとです。さらに、物語を細部まで読みこんでメモをとるので、彼の絵は物語にぴったりと当てはまるのです。
こういった特徴や勤勉さに加えて芸術性が、ムスタファ・デリオールに『とんだ火曜日』の挿し絵を依頼した理由です。依頼して本当に正解でした。
注1:市場、バザールの意。
注2:火曜市場の意。Salı Pazarı(サル・パザル)。サルは火曜日の意。特に、イスタンブルのアジアサイドの町カドゥキョイで毎週火曜日に開かれる巨大な露天市場を指す。
●著者紹介
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
©Müge İplikçi
Müren Beykan
(ミュレン・ベイカン)
1979年、イスタンブル工科大学を卒業。1981年、同大学建築史と修復研究所で修士を、2004年にはイスタンブル大学の文学部考古学部で博士を修める。博士論文は、2013年、イスタンブル・ドイツ考古学学会によって書籍化された。1980年以降は、1996年にイスタンブルで開催されたHABITAT II(国連人間居住会議)のカタログの編集など、重要な編集作業に多く参加する。
1996年、ギュンウシュウ出版創設者のひとりとして名前を連ねる。現代児童向け文学、ヤングアダルト文学の編集、編集責任者、発行者として活動する。ON8文庫創設後は、ギュンウシュウ出版と並行して、こちらの編集責任者も務めている。
(写真は、ミュゲ・イプリッキチのYouTubeチャンネル「オリーブの枝」に出演したときのもの)
Mustafa Delioğlu
(ムスタファ・デリオール)
イラストレーター。1946年、トルコのエルジンジャン生まれ。1968年からイラストレーターとして活動する。1975年に個人のアトリエを開設し、主に、本の表紙と児童向け作品の絵を手がける。独自のスタイルを構築し、展覧会も開催している。ギュンウシュウ出版では『ノミがとこやでラクダがよびこみ』(2008)、『とんだ火曜日』(2010)、『力をなくした王さま』(2011)、『おはなしはピョンピョンとびまわる』(2015)などの挿し絵を手がけている。妻とともにイスタンブルに暮らす。
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)