片田舎で、ビートルズも知らずに海ばかりながめていたのだ。
同年代が聞いたら、あきれることだろう。
どんなに歳をとっても人の素行というものはそう変わらぬらしく、数年前も作品に没頭していたら五輪招致の「お・も・て・な・し」を知らずに、「大丈夫かい?」と本気で心配された。
十代の頃、なぜあんなに太陽の終焉を見とどけなければ気がすまなかったのだろう? 来る日も来る日も、部活が終わるとまっすぐ浜に向かいその気配がすっかり消えてしまうまでじっと浜の風に吹かれていた。受験戦争も社会情勢も関係のない、のんびりとした時代だった。いや、のんびりしていたのは私だけ、そんなうかつ者は他にいなかったかもしれない。
最近、故郷の海を作品に書いた。そこには避けて通れない事実がある。どうにかして、作品に書き込みたかった。でも、どうしても物語からはじかれた。ならば、はじかれっぱなしにしておけないその事実を真正面から書くしかないと思った。
戦争の話は、誰も聞きたくない。耳にタコができているし、結論は決まってる。「悲惨な戦争はくり返してはならない」。楽しいとは言えないそのわかりきった話を、わざわざまた聞きたい人がいるだろうか。
恥ずかしい話になるが、本多勝一の『中国の旅』を読んだのは成人してからだった。なんということだろうと思った。書かれている事実より、広島、長崎の被害は声を大にして訴えるのに、自分の加害については口をつぐむ日本の姿勢に衝撃を受けたのだ。そんなことがあるだろうか。
長じて故郷の海で何が起こったかを知った時、のほほんと海ばかりながめていた自分に肝を冷やした。そして真っ先に、中学、高校の社会科教師を呪った。
「なぜ、教えてくれなかったの?」
その地で育った子どもが知らないということは、大人が語らなかったということだ。
いや、訂正しよう。先生は、教えてくださったのだ。うかつな私が、ちゃんと聞いていなかった。いやいや、さらに訂正だ。子どもに届くように伝えられなかった責任は、やはり教師にある。自戒をこめて、そう言おうと思う。
社会情勢にまったく疎い私が、苦手の戦争に取り組む。どうなることか。作品は、書いてみなければわからない。予想もつかない人物が急に飛び出してきて、ひっかき回されることがある。あるいは、にっちもさっちもいかなくなって頓挫するか……。
とにかく、始めることにする。
現在、単行本化に向けて企画を進めているため本文非掲載にしております。
ご了承ください。
戻るA次へ
●著者紹介
有島希音(ありしま きおん)
教師をしながら、児童文学を書いてきた。北海道生まれ、北海道育ち。冷涼な、乾燥の大地の外には住む自信がない。好きな季節は、初冬。いや、晩秋か。木々がすっかり葉を落とし、観念したように冬を待つ。あの張りつめた短い無の間が好きでたまらない。春になり花が咲き始めるとなんとなく心がざわついて、夏の間はただ息を殺して通り過ぎるのを待つ。秋になって星が冴えてくると、ようやくほっと息をつく。なんだろう。北海道生まれ、のせいばかりじゃない気がする。かといって、寒さに強いかというとそうでもなく無類の寒がりでもある。なんともややこしい。
秀吉に強制連行された朝鮮陶工の村を直に見たくて、近くの大学でコリア語を学び始めた。オンラインでの受講に四苦八苦。大学の講義は甘くなかった。2018年に「本作り空Sola」に手がけていただいた作品が、岩崎書店から『それでも人のつもりかな』として出版される。