- ついに、エルンストが笑いながらいった。
- 「わあ、このけずりかすでパンを作ったら、りっぱな頭垢(ふけ)料理だ!」
- ジャックがあとを受けて、
- 「カブラでパンができるというのは、なにしろはじめてきいた! それにしても、いいにおいじゃないな。」
ロビンソン・クルーソーが、「ビスケット(乾パン)」の残数を気にして、1日1個と決めたのは、無人島漂着からちょうど半年後の4月30日のことでした。それから3カ月後の7月、初めて島の探検に出かけた彼は、「この島の気候のような地域に住む人びとがパンをつくるのに用いるカサヴァの根」(136頁)を探しまわっています。フランス語では「マニオク」、スペイン語やポルトガル語では「マンジョカ」、日本では「キャッサバ芋」と呼ばれる根菜です。サツマイモとよく似た塊根部分にでんぷんがたっぷり含まれていて、代用パンの材料になるため、無人島サバイバーにとってはとても便利でありがたい食べものなのです。
ロビンソンは結局それを見つけることができませんでしたが、その後、偶然発芽した大麦を育てて、パンを完成させています。とはいえ、パン種(酵母)がありませんでしたから、焼きあがったのは、ぺったんこの「フラットブレッド」だったはずです。しかも、炉を熱してそこに直接生地を置き土器をかぶせて炭火で覆って焼きあげるという原始的な方法でしたので、ちょっぴり焦げ臭くて、灰混じりのパンだったに違いありません。
ロビンソンが見つけそこねた「カサヴァの根」を手に入れて、おいしい代用パンを焼きあげたのが、例の美食家(食いしん坊?)のスイス人一家です。次男が持ちかえった「カブラだか大根だかよくわからない」(95-96頁)ものを目にして、博識な父親がそれと気づき、さあ、パンを焼こう! ということになりました。父親は、はじめて手にした食材の調理法についても、したり顔で説明しています。
- ① 洗ってすりおろす
(皮は剥きましょうよ。できれば厚めに😭) -
② 帆布の袋につめこんで絞り、汁気をなくす
(ぱさぱさの生地だと、固形物は焼けないよぉ😭😭) -
③ ひとばんおいて焼く
(熱帯の島でひとばん放置したら腐っちゃうってば😭😭😭)
突っ込みどころ満載のレシピはさておき、1人ひとつずつタバコおろし器をもたされた4人の息子が、父親の号令にあわせてごしごしこすると、広げた帆布の上には湿ったおがくずのようなものがあっというまにたまっていきます。子どもたちは、頭垢料理だの、カブラパンだのとはやしたてたり、試作品の味見をねだったりと大騒ぎです。しかし、父親は簡単には食べさせません。マニオクには種類によって強い毒性があるため危険なのだと説明し(これはホント!)、まずはニワトリとサルに毒見をさせて待つようにと指示します。そして翌朝。ニワトリとサルが元気に走り回っているのを確認してから、ようやく調理実習再開の号令がかかります。
- わたしはみんなをまわりに立たせて、焼きかたの手本を見せた。実習のほうも、なかなか悪くなかった。ときにはこがしたり、半こげを作ったりしたが、それはそれで、ちっとも心配はいらない。ニワトリとハトと犬がまわりにひかえていて、そのつど、ありがたくちょうだいするのである。焼き手のほうも、焼きながらはなはだひんぱんに味見をし、つまみ食い、指をなめ、いっこうにできあがりのたまる気配がない。そればかりか、なかには申し分なくきれいなお手々で焼くものもいて、そういう製品は本人に食べてもらうほかはない。(105頁)
焼きたてのパンにしぼりたてのミルクを添えれば、「王さまのような朝食」の完成です。なんと楽しげなんでしょう。仲良し家族がキャンプ生活を満喫している光景だよ、と言われても納得してしまいそうです。少なくとも「無人島でサバイバル中の漂着者」には見えませんよね。マニオクで作った代用パンも、「ふかふかのパン」ではなかったにせよ、ビスケット(乾パン)がまずいと不平たらたらだった子どもたちのつまみ食いが止まらなかったというのですから、味のほうはかなりのものだったのではないでしょうか。
マニオク(=キャッサバ芋)は、日本人にとっても案外身近な食べものです。「タピオカ」の原料なのですから。そのタピオカ粉で作るのが、ブラジル風チーズブレッドともいうべき「ポンデケージョ」。モチモチした食感が大人気で、最近ではスーパーやコンビニの冷凍食品売り場に置かれていたりします。生芋については、日本の店頭で見かけることはまずありませんが、中南米やアフリカではごく一般的な食材です。主食としてだけでなく、すりおろしてココナッツと砂糖を加えて加熱すれば、モチモチの南国風ケーキができます。
もちろん、スイス人一家が最初に焼いた代用パンには、チーズもココナッツも生クリームも砂糖も入っていませんでしたから、ポンデケージョやココナッツケーキというわけにはいかなかったでしょうが、「バターで焼いたジャガイモ餅」のようなものにはなっていただろうと思います。それに、この一家の場合、南国フルーツはそもそも食べ放題、しかもあっというまに大農場を作りあげてチーズも生クリームも砂糖も蜂蜜も食べ放題という生活を送っていますので、代用パンの味もきっとどんどん向上したに違いありません。
ところで、無人島サバイバーのなかにも、母国で食べていたのと同様の、ふっくら膨らんだ小麦のパンを焼きあげたつわものがいます。天才科学者サイラス・スミスをリーダーとする5名のむくつけき男たち——ジュール・ヴェルヌの『神秘の島』に登場するサバイバーです。彼らは、文字通り「身一つ」で無人島に漂着したにもかかわらず、その知識と技術と体力をフル活用して、短期間のうちにすまいや農場のみならず、橋や水車や電信設備まで作りあげてしまう専門家集団でした。小麦を粉にするために製粉機を作り、それを動かす風車まで作ってしまう(しつこいようですが「無人島で」、です)サイラス・スミスにとっては、パンを膨らませるぐらいおちゃのこさいさい。使ったのは、モミの若芽を発酵させたビール酵母でした。ちなみに、彼らは、小麦が育つまでの間に合わせに、代用パンも作っていますが、その材料はキャッサバ芋ではなく、「ソテツ」。日本でも奄美や沖縄ではソテツから抽出したデンプンを使った伝統食がありますが、毒性が強いため下処理にかなりの手間をかけます。ヴェルヌは、毒性には触れず、ソテツから栄養分に富む上質の小麦粉のようなものがとれるのだと説明し、「かつて、日本の法律は、このソテツの粉末の輸出を禁じていた」(『神秘の島』第二部 172頁)と述べています。本当にそんな法律があったのでしょうか?