企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第1回
 

 

  • 四月三十日
    ずいぶんまえからビスケットが残り少なくなっているのに気づいていたので、今日しらべてみた。今後は一日にひとつと決めたが、はなはだ気が重い。
    (『ロビンソン・クルーソー』、112頁)

 
まずは手始めに、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』に登場する「ビスケット」からみていきましょう。ロビンソン変形譚に限らず、19世紀以前を舞台にした海洋小説を読んでいるとしばしば遭遇する食べものです。ビスケットとはいっても、船に積み込まれて、船乗りたちが日常的に食べていたものなのですから、もちろん、甘い薄焼き菓子のことではありません。要は「乾パン」なのです。英語では「固い食べもの」という意味の“hardtack”と呼ばれますが、物語に登場するときは、“bisket(biscuitの古い表記)”あるいは“ship (’s) bisket” が一般的で、たんに “bread”と書かれることも多いため、日本語では往々にして「ビスケット」とか「パン」と訳されてきました。初期の翻訳を見ると、「菓子」となっていることさえあるくらいです。ですから、じつは私自身も子どもの頃には、ロビンソンが「森永マリー」を片手に島を歩きまわっている姿を思いうかべながら、この物語を読んでいたのです。

 
 

 
船のビスケット(マサチューセッツ州プリマス、「メイフラワーII世号」にて撮影)

 
 
とはいえ、たとえ「乾パン」と訳されていても、今ではたいして違いがないかもしれません。こんにち、防災用保存食としてスーパーなどで売られているような乾パンは、ほんのり甘くておいしく食べられるものがほとんどですから。しかし、帆船時代の船乗りたちが食べていたのは、そのまま齧ることは不可能で、布に包んで机の角とか何か固いものにたたきつけて粉々に割ってからしゃぶったり、スープに入れてふやかしてからのみこんだりといった、とんでもない代物だったといいます。

 
当時の乾パンの味や食感について知りたければ、『スイスのロビンソン』を読むといいかもしれません。夫婦と4人の息子からなる家族が、無人島で豊かな生活を築きあげていくさまを描いたこの物語は、食べものをめぐる楽しいエピソードに満ち溢れています。しかし、乾パンについては、食い意地の張った子どもたちですら顔をそむけた「まずいもの」の代表格としてあつかわれているのです。乾ききっていてなかなか噛み砕けないというのがいちばんの理由でした。語り手である父親は、最高級バターをたっぷりぬって火に焙れば食べられるようになったと証言するいっぽうで、子どもたちが熱心に焼きすぎるあまり捨てざるえないこともあったと嘆いてもいます。実り豊かな無人島に、多くの物資を持ち込んで生活を始めた彼らの食卓は、いつも美味珍味のオンパレードでしたから、子どもたちにしてみれば、乾パンなんて焦がして捨てちゃえというのが本音ではなかったろうかとさえ思えます。

 
長期保存に耐えうるように、二度焼き、三度焼きして、水分を極限まで減らしていたとはいえ、真空パックも防腐剤もなかった時代のことですから、長い航海の間には、湿気てカビが生えたり、虫が食い荒らしたりというのも日常茶飯事だったそうです。うっかり噛んだら歯が欠けてしまったり、割ったらウジ虫がでてきたり……「ビスケット」がそんな食べものだったと知ると、それを大事に大事に倹約しながら食べていたロビンソンの苦労も、よりよく理解できるのではないでしょうか。
 
 

 
 
 
 
●引用作品


  

 
ロビンソン・クルーソー
デフォー作
海保眞夫訳
岩波少年文庫
2004年
 
 

 
スイスのロビンソン
ヨハン=ダビット・ウィース作
小川超訳
学研
1977年