聖ニコラウスの生涯を書籍の形で発表したのは、ジェノヴァの第八代司教だった、ニコラス・デ・ヴォラギネ(1230頃~1298)が最初です。彼の著作Legenda Aurea(レゲンダ・アウレア/黄金伝説)という聖人伝は1267年ごろに完成しました。中世にはベスト・セラーだったといわれます。
100人を超える聖人の生涯が章立てとなって解説され、第一章は「主の降臨と再臨」、第二章が「使徒聖アンデレ」、これに次ぐ第三章が「聖ニコラウス」。日本語にも翻訳されており、日本語訳で全四巻、総ページ数は二千を超えます。(私が数えた限りでは)132人の聖人と、27人の聖女の生涯が記されています。その中の三番目に登場するとなれば、当時の聖ニコラウスの人気がよくわかります。
『黄金伝説』に「パトラス」と見える(※注1)聖ニコラウスの生まれた地・パタラの遺跡は、現トルコ、アンタルヤ県のカシュにあります。カシュの隣が、彼が司教を務めたミュラの遺跡と聖ニコラウス教会があるデムレ。カシュ、デムレともにアンタルヤ県西端の地中海沿いに位置し、アンタルヤ県のアンタルヤ空港から見て、デムレの方が手前に位置しています。今回は日帰りで、カシュまで行く時間は取れないため、アンタルヤ空港から車をチャーターし、デムレの教会とミュラの遺跡だけを見ることにしました。
デムレ、聖ニコラウス教会の前に立つ聖ニコラウス像。お顔は後ほど
2018年11月11日の日曜日の朝4時30分、イスタンブルのホテルを出発します。ボスフォラス海峡を渡り、アジアサイドのサビハギョクチェン空港から7時30分発のアンタルヤ行き飛行機に搭乗予定です。11月、イスタンブルの早朝は寒く、空港の金属製のベンチは座っていると腰からしんしんと冷えてきます。「寒いですね……」「チャイを買いましょう」。売店で買った熱々のチャイ(トルコ紅茶)も、すみやかに冷めてゆく始末。飛行機に乗ったときには、ほっとしました。
トルコの地中海地方に属するアンタルヤに着いたのは、8時45分。飛行機を降りるとだいぶ暖かい。アンタルヤは、南の地中海沿岸と北のトロス山脈に囲まれていて、私たちが向かうデムレは地中海沿いなので、11月でもまだ暖かいのです。
空港の建物を出たところで、日本から予約していた旅行会社のドライバーさん、イルハンさんが出迎えてくれました。
空港の駐車場に案内してもらうと、なんとベンツが! Fさん「ベンツだ……」、私「こ、これですか? 車?」、イルハンさん「これです! どうぞ!」。中は、ゆうに6人は座れる広さです。そこに、Fさんと私のふたりとは、「なんだか、申し訳ないですね」とうなずき合いました。シーズンオフだったのが、ベンツにつながったもようです。
ドライバーのイルハンさん。きれいに手入れされた車に抜群のテクニックとお人柄。
しかし、アンタルヤ空港のある中心部からデムレまでは二時間ほどかかるので、結果から見るとベンツでとても楽でした。イルハンさんはドライビングテクニックもすばらしく、安全運転。日本の感覚から言うと少々スピードは出ていましたが、不安はありませんでした。お願いしていたスケジュールもしっかりこなし、押しつけがましさもなく、プロ意識の高いドライバーさんでした。
アンタルヤまで戻った後も、少し時間に余裕があったので、地中海が見渡せるカフェを教えてくれ、空港までの時間配分はぴったりでした。トイレや飲み水も気にかけてくださいます。広告ではありませんが、アンタルヤで個人の車移動をするときには、こちらの会社はおすすめです。
アンタルヤ空港からデムレへ向かう道は、ずっと地中海沿いを通っていきます。アンタルヤは、海からすぐにトロス山脈が立ちあがっているので、海沿いにしか大きな道を通せないというのもあります。地形通りに敷かれた、ぐねぐねとした海岸線道路を進んでいきます。つき出している部分を回ると、その先にまた大きくカーブしてつき出した突端が。なかなか道の先が見通せず、つい居眠りがでてしまいます。
走る車から撮影。来た道。写っている突端を全て通ってきた
走る車から撮影。行く道。写っているがれ地の先にも同じように先の見通せない道が続く
進行方向に向かって左には、地中海が広がっています。この日は天気が良く、風も強くなく、地中海は静かでキラキラとしていました。朝の、恐らく気温一桁のイスタンブルとは大きく異なり、シャツ一枚でも暑くなってきます。
地中海。内海であるせいか、静かに凪いでいた。海の色は濃い青だった
キラキラした地中海を見ながら、聖ニコラウスが元になったサンタクロースは、現在は北極圏に住んでいるのだな、と思い出しました。グリーンランド国際サンタクロース協会はデンマークに本部があります。温暖な地中海から北極圏の北極海沿いへ、聖ニコラウスの住環境は相当大きく変化したもようです。聖ニコラウスとサンタクロースの間の距離というものを感じる日帰り旅になるのではないか、とふと思いました。
アンタルヤ空港を出発してから約二時間後、「まずは、聖ニコラウス教会ですね」というイルハンさんの言葉とともに、デムレの町に入りました。石畳の道を抜けると広い広場があり、その向こうに聖ニコラウス教会の入り口が見えました。
※注1:当連載内で引用も含め『黄金伝説』に言及する記述は、全て『黄金伝説 第一巻』(前田敬作他訳、人文書院、1979年)による
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。