浅い春の朝、まだあたりは薄暗い6時前。人影のない公園を何周か、腕を振って歩いたあとで、腰を落とし、うさぎ跳びのような格好で、八十歩進む。「あなた、腰を高くしてふらふら歩いてるだけじゃだめよ。しゃがんで進むの、これが何といっても一番!」と、尊敬する村田喜代子先生に強く勧められて以来、毎朝欠かさず続けているのだ。
薄暗い公園で、肥え過ぎた鶏のようにお尻を突き出し、しゃがみ歩きする姿は相当奇妙だが、そんなこと考えていられないほど最初のうちは苦しくて、61、62、63……と歩数ばかりを数えていた。ところが体が慣れてくるとだんだんに地面の上に起きていること、いや昨日の夜から朝にかけて起きていたことが、あぶり出しの絵のようにみえてくるようになった。抜け落ちた犬の毛のかたまりが風で転がっていく。いろんな生き物たちの足跡が、地面の上に残されている。あぁ、こっちに曲がったな。ここで茂みに消えたな。ブランコの下の水たまりをよけて歩いたな……。目線が変わるだけで夜から朝のものがたりがいくつもいくつもくっきり立ち上がってくる。
ところで岡山はなぜか、夜降り出した雨が明け方に止むことが多い。そんな朝、公園に行き、水気を含んだぬべぬべの地面をしゃがみ歩きすると、いつもと変わらぬ獣たちの足跡がめり込むようについている。夜出歩く者たちにとっては、雨が降っているからといって、エサ探しをやめるわけにはいかないのだな。しゃがみ歩きでみつけた足跡には、ただそれだけのことと捨て置くことができない、沁みいるようなこころ親しさがある。
さて、先日公園に行くと、前日の昼間子どもたちが遊んだのであろう形跡が地面にくっきり残っていた。四角く囲んだスタートの文字。そこからまっすぐまっすぐ線が伸びていて、20メートルくらい先に今度は四角で囲んだゴールの文字。幼い子たちの走りっこ競争かな? それとも、綱渡り遊びかな? それともそれとも……と想像しながら私もその線を辿るようにしてしゃがみ歩きを開始した。するとどうだ、土を深くえぐるように伸ばした線をまたぐようにして、右、左、右、左と犬でもネコでもなさそうな獣の足跡が点々とついている。ははぁん、タヌキかイタチのお出ましだったんだな……それにしても、スタートからゴールまでよくぞこんなにきっちり線をまたいで歩いたもんだ。彼らも遊んでみたかったのかなぁ~と友人に話すと、笑われた。
「またいだんじゃないですよ、それってあたりまえ。動物がまっすぐ歩くっていうことは、一本線の上を歩くことじゃありませんからね。顔は線の先を見つめていても足はまっすぐじゃないんです」。
なるほど。当たり前の事実に衝撃を受けるほど、私は人間目線と人間歩きで物を捉えていたんだな。考えてみれば「まっすぐ進め」「一直線につき進め」などと人間は躊躇うことなく口にするが、そもそも自然界に直線なんてものはない。前に進むとは、大きく言えば弧を描く地球の果てなき道を自分の内側に巻き込んでいくということなのだし。巨大な地球ベルトの上で、ちいさき躰を左右にゆすりながら一歩一歩と進み続ける獣たち。そしておなじ回転ベルトの上を、わたしも歩いている。立ったりしゃがんだりしながら。