企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第5回
 

1881年、スペインのモゲールの町に生まれた詩人。20代前半に父を亡くしたあと、精神的な打撃から不調を起こし、故郷の町で静養していたその間の日常を、淡々と散文詩の形でつづったのが『プラテーロとわたし』である。ファン・ラモン・ヒメネスはその後、純粋詩の追及に身を捧げ、ノーベル文学賞を受賞した。
太陽の光と白塗りの家々、ぶどう畑と丘の松の木、教会の鐘の音が響くアンダルシアの田舎を、ロバを連れて歩いた日々を描き出した138編の詩は、大切なロバのプラテーロに、優しく話しかけるように語られる。
プラテーロは銀色のロバで、いつも「わたし」と一緒だ。鋼の筋金入り、そして同時に月の銀色。父の喪に服した黒い服の「わたし」がプラテーロに乗って見聞きするのは、港のある町の風景、働く人々、遊ぶ子どもたち。とりたてて筋もないこの詩集が、子どものころからの愛読書だった。ここに描き出される風景は、本の中で見慣れた日本や欧米のそれと大きく違っていたが、それはこの地方の植物相の独特さのせいだったかも知れない。
けっして児童書ではないこの本を、子ども向けに出版してくれた理論社に、今となっては感謝している(現在は岩波文庫版などもある)。
  
四季折々の木、花、果物
詩集に描き出される風景は、ポルトガルとの国境に近い海辺の町。ぶどう畑、オリーブ畑が大半を占める農村風景、ぶどう酒の醸造所がある。小川のほとりのユーカリの大木、街道沿いの黒ポプラの木。丘の頂にそびえる松の木。海から吹きつける風で枝が波のようにしなった森の木々。
琥珀のいろのぶどう、子どもたちが盗むオレンジの実、道行く「わたし」がもらうのはサボンの実。いちじくの実からしたたる白い汁、あかい透明な中身をざっくりと見せるザクロの実、あんずの実を売り歩く子ども。
白い巴旦杏の花の咲く春、乙女の身体のような薔薇の花、暗闇の中で香だけがする白百合。水際の花菖蒲、雨に濡れた風鈴草、みずみずしい忍冬、かぐわしいオレンジの花。
栗を焼くにおい、炒った松の実。
エキゾチックで香り豊かで色鮮やかで、美しいスペイン映画を見ているような気がしてくる。決して豊かではない生活の場で、貧しい人も流浪の人も老いも死も、描かれていながらどこもかもが美しい。
とりわけ心に残る場面を紹介したい。
 
夜明けのいちじく狩り
ひんやりとした夜明けのぶどう園にいちじくを食べに行った「わたし」とロシイーリョとアデーラ。樹齢百年になっているであろういちじくの木々の幹、葉、果実が、次第に明けてゆく空の色と共に描き出される。無邪気な競争のすえに、澄んだ空気の中を雨あられと青い色のいちじくが降り注ぎ、二人の娘の笑い声が響き渡る。南国ならではの一場面である。
 
アンジェラスの鐘と薔薇
夕暮れの教会の鐘の音が、無数の降りしきる色とりどりの薔薇の花として捉えられる。天国から地上にまき散らされる神の恩寵が、薔薇の花として降り積もると、どんなものも穏やかに包まれてしまう。教会の薔薇窓、夕方の空の薔薇色が想起される。
 
アニーリャの死
いたずら好きのその少女は、お化けの扮装をしてふざけるのが好きだった。稲妻と雷鳴、雹と雨が降り注いだ9月のある夜、お化けの木とみんなが呼んでいたユーカリの古木は、雷が落ちて折れてしまった。あらしが去って月の光が照らし出したのは、むせかえる夜の花のにおいの中で、雷に打たれて死んでいるアニーリャの姿だった。夕立の重苦しい空気とそのあとのすがすがしさ、ユーカリの古木が折れたあとの焦げ付いたにおいと夜の花の強い香りといったものが、身体で感じられるような一節である。
 
月下香の花のような少女
結核の少女は青ざめて白い月下香の花のようだった。陽に当たるようにと医者に言われた彼女に、「わたし」はプラテーロを貸してやる。うれしくて笑顔を見せた黒い瞳のカルメンという、その少女は、期待にほおを紅潮させて、天使のような姿でロバに乗り、プラテーロは壊れやすいガラス細工の白百合を乗せているかのように慎重に足を進める。彼女がたとえられている月下香という花は、英語でチュベローズ、白い六弁の小さな花で夜になるととりわけ香りが高い。だが、半年もしないうちに彼女は亡くなり、墓地に眠ることになった。
 
小麦畑とアマポーラ
実った金色の小麦の畑に、点々と赤い雛罌粟(アマポーラ)が咲き、そのそばを汽車が通り過ぎていく。銀色のロバに乗った黒い服の男は、汽車の窓から垣間見えた少女に、どんなふうに見えただろうか、と述懐する「わたし」。そんな風景をどこかで確かに見たことがあるような、既視感を感じた。
 
黄花アイリスとプラテーロ
こうして詩人に愛されたロバも、ある日毒に当たったのか、前足を折って倒れ、その昼にはもう死んでしまった。埋葬されたプラテーロの墓を飾るのは黄色のアイリスの花だ。今頃、プラテーロは天国の花畑で心行くまで花を食べているかもしれない―詩人はプラテーロが花を食べることができるのが羨ましかった。

 
 
 
 
 


  
 
『プラテーロとわたし』新装版
ファン・ラモン・ヒメネス
長新太/絵
伊藤武好・伊藤百合子/訳
理論社
 
 

長南実/訳
岩波少年文庫