第1回
──よろしくお願いします。少しだけ、ご自身のことをお話いただけますか?
セルピル・ウラル(以下、S・U) こちらこそ。私は、トルコのイズミル(エーゲ海に面する、トルコ第3の都市)で生まれました。両親はふたりとも農業技師でしたから、仕事の都合で4歳から17歳までの子ども時代をトルコ国内のあちこちの街ですごしています。たとえば小学校にはイスタンブルで入学し、サカルヤ(トルコのマルマラ海地方の県)で卒業しました。その後、イスタンブルにあるアメリカン高校で寄宿生になりました。1964年に高校を修了して、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジに入学、学士の勉強を修めました。
仕事を始めたのは、イスタンブルの広告会社です。コピーライター兼グラフィックデザイナーとして7年半働いた後、結婚をしてアンカラに引っ越します。夫の職場がアンカラにあったので。それからずっとアンカラ住まいです。
©Serpil URAL
春、アンカラのお気に入りの公園で桜の花の下で
──子ども時代、青年時代はどうでしたか? 本との関係は?
S・U 静かで孤独な子どもでした。母も働いていたし、私よりもだいぶちいさな弟とは遊びも合わなかったので。教師だった母方のおばのおかげで、だいぶはやく文字を覚えました。ずっと家で本を読んでいましたね。ときどき庭や家の前の道で近所の子たちと遊ぶくらい。
成長すると、目は外に向き、ずっと行動的になりました。友人たちと歩きまわったり、映画やコンサートに行くのが好きでした。それでも、たくさん本を読んでいました。当時は、テレビやインターネットなどもなかったですしね。
──大学では何を学ばれましたか? 当時から、将来は児童文学作家になるという考えはあったのでしょうか?
S・U ブラッドフォード・ジュニア・カレッジでは、文学と視覚的芸術について学びました。1966年に準学士を取得し、トルコに帰国します。イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部ですね)で勉強を続け、グラフィックデザイン学科を修了しました。16、17歳ころから、いずれは文学と絵に関わる仕事がしたい、という思いがありましたから。
──それでは、作家それも児童文学作家として生きていくと決断したのはいつごろだったのでしょう?
S・U 高校を卒業するとき、舞台芸術を学ぼうと決めました。舞台芸術には、文学と芸術の両方が存在したからです。ですから、ブラッドフォード・ジュニア・カレッジでは文学と基礎芸術を選択しました。カレッジ時代にアメリカの児童書を読んで、衝撃を受けました。これほど美しい児童書は、まだトルコには存在しませんでしたから。そのとき、こう思ったんです。「ここには、文学と芸術がある。トルコにもどったら、私はこれを仕事にしよう」って。
──そして1980年、ミュンヘン国際児童書図書館で長期の研修に参加されています。どういった経緯があったのですか?
S・U 働き始めたとき、トルコで児童書を生業として食べていくのはとても無理だとさとりました。それで、広告会社に入ったのです。アンカラへ移ってみると、アンカラには広告会社がなくて、フリーランスとしてグラフィックデザインの仕事を受けていました。でも、依頼はそんなに多くはなかったですね。
そこで、ずっと頭の片隅にあった児童文学の仕事を始めるのはいましかない、と。まずは、児童書について学ぶためにハジェッテペ大学の大学図書館に通い詰め、大学の教授たちといろいろ話をしました。そして、助言をいただきながら最初の作品の準備にとりかかりました。
そんなとき、教授のひとりからミュンヘン国際児童図書館のことを聞きました。そこへ行って学ぶことは今後の私にとって非常に重要だ、とのことでした。それならばと、教授の手助けをいただいて研修に応募し、参加を許可されたのです。
──研修ではどのようなことを学ばれましたか? それによって、その後の活動に変化は出ましたか?
S・U 研修では、世界中の児童書を手にする機会を得ました。どこの国でどのような作品が読まれているのかを学びました。どのような主題が、どのように表現されているのかも。これまでどのような作品が世に送り出され、これから新しい作品はどうあるべきかを学ぶことができたのですから、常にそれを意識して創作活動に取り組むようになりました。同時に、自分に対する自信のようなものも生まれましたね。
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ショッピングセンターで開かれたサイン会にて、小さな読者と
──1986年に第5回野間国際絵本原画コンクールの佳作に入賞されました。そのときのことを、お話しいただけますか?
S・U ある日、家に手紙が届きました。ほんとうに夢のようでした。「授賞式に参加したい!」と思ったのですが、すでにその年の5月、夫といっしょに日本に旅行をしていたのです。あれだけの長い旅程を年内にもう一度こなすのはむずかしいことでした。東京のトルコ大使館の文化部に連絡をして、代わりに授賞式に出席してもらいました。その後、ご連絡をいただいて、とてもすばらしい授賞式だったと教えていただきました。
──同年のコンクールでの受賞者にベヒチ・アク氏がいます。氏とはお知り合いですか?
S・U ベヒチ・アクとは友人です。よく、ブックフェアーや児童書関連の会議などで顔を合わせては、話していますよ。
──次回は、お仕事や作品についておうかがいする予定ですが、毎日、書斎で机の前に座るまで、どのように過ごされていますか?
S・U 朝起きたら、まず朝食の準備です。夫といっしょに朝食をとってから、必ず30分は読書をすることにしています。児童書から一般書まで、何でも読みます。朝食の片づけと、家の掃除はその後。それから、パソコンを開けてメールをチェック。返事が必要なものには、返信をします。この朝の儀式がひととおりすむと、さあ、と机の前に座って書きかけの本に取り組むわけです。
──ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。
Serpil URAL(セルピル・ウラル)
1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。
©Serpil URAL