企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第75回 

ギュンウシュウ出版2025年春の新刊②

1.Büyük Uyku /大いなる眠り

サブリ・サフィエによる、森の奥深くに隠された秘密の情報網を解き明かす物語。樹木やキノコなど、植物のことばを通して、自然はすべての生き物のものであるということを読者に提起し、一方で子ども時代の思い出をよみが
えらせる。
 
小学校中学年以上推奨。
 

© Günışığı Kitaplığı

 
僕は大学の4年間を過ごした部屋を見まわした。これからの生活には持っていけないあれこれがまだ残っている。
 
空っぽになった本棚には、紙が1枚と松かさがひとつ。今までの思い出を全部は持っていけないと思っていたけれど、実際のところ、僕は紙と松かさを置いていくつもりはなかったし、置いていく準備もできていなかった。
 
座っていたベッドから立ち上がり、紙を手に取った。紙には水仙の絵が描かれていて、少し色あせているけれど、その美しさはずっと変わっていない。この絵は十年以上前に描かれた。絵を見ると、当時の自分のことを思い出す。12歳の少年だった僕が経験した信じられないような冒険の結果として、僕の中で吹き荒れている嵐のゴウゴウいう音は今もまだやんでいない。
 
しばらくその絵をながめたあと、慎重に丸めてリュックサックに入れた。松ぼっくりもポケットに入れた。このふたつは、僕にとって大きな意味を持っているのだ。
 
つい先週、大学を卒業した僕は正式に本草学者になる。植物学者と言えばもっとわかりやすいかもしれない。でも僕はそれ以上の存在だ。「植物の親友」だ。だれも知らない、どんな人間の頭の片隅にも浮かばないであろうできごとに遭遇し、植物に関するとある秘密を今日まで抱えてきた。でも、もう秘密を明かそうと思う。なぜなら、人生の新たなページをめくるのだから。
 
それは12歳の秋に起きたことだ。いや、そのときに始まったというべきかもしれない。
 
父は国の技術関係の仕事をしていたので、転勤にしたがって僕は何度も転校を余儀なくされた。12歳の秋に、家族そろって小さな村に引っ越した。谷川が合流する場所にある、森を背にした古い村だった。
 
村の斜面には、ここに似つかわしくないコンクリートの建物が経っていたが、あとで聞いたところによると、丘の向こうに少し前から稼働している金鉱があり、そこで働くひとたちの宿舎ということだった。僕の部屋からは宿舎と森の境目がよく見えた。新しい家の庭は長いこと手を入れていないのがよくわかる荒れぐあいだったけれど、美しかった。森の緑がだんだんと紅葉していくようすも僕の心をとらえた。
 
しばらくして、学校に必要なものを母と一緒に買いにいくと、村に一軒しかない文具店の店主は僕たちが金鉱で働くために引っ越してきたのではないと知って安心したみたいだった。母にむかってグチをこぼした。
 
「ここはとても美しい場所ですよ。水も空気も……まるで天国の一隅といった感じのね。でも、金鉱が開かれたでしょう。それ以来なにもかもが変わっちゃいましたよ。健康が悪化して、心の平穏が乱れると、お金を失うことになるんですよ。でしょう、マダム?」
 
村の小学校に入学した語り手のケレムは、木の葉を集めるという宿題のために初めて森に入る。そこで感じた森の香草のような香り、響く音、刻一刻と変化する色彩が彼の冒険心を満たした。ケレムは、すべての木や草について知っているネルギス(注1)に出会い、色が黄色くあせていく木々があること、その木々が非常に奇妙な状態になりつつあることを知る。
 
金鉱でダイナマイトが爆発し続けるなか、ふたりは木々の奇妙な状態を食い止めようとする。

注1:ネルギス(Nergis)はトルコ語で花の「水仙」のこと。女性名にも用いられる。

作家プロフィール


Sabri Safiye
(サブリ・サフィエ)
1961年、アンカラ生まれ。イスタンブル大学国際関係学科を卒業後、長年、映画業界で助監督、監督、プロデューサーとして活躍する。しばらくのあいだ、アニメーション制作に専念していた。2010年、映画業界を引退後、自身の経験を大学生に伝える活動を行った。その後の10年は料理人をしていた。 
2009年から、移民問題、特に女性と子どものためのプロジェクトに積極的にかかわってきた。そのフィールドワークで用いるために書いた児童向け作品『月のうさぎ』は、クロード・レオンの絵とともに2021年、トルコ語とアラビア語で出版された。 2022年には児童向け小説『もふもふ宇宙人の冒険』が発表された。2023年には、『もふもふ宇宙人の冒険~ハルフェティ』『イナンナの帰還』の2作、2024年には『散らかった部屋』を発表し、精力的に執筆をつづけている。
最新作は『大いなる眠り』(2025)。イスタンブルに暮らす。
 
 
  
執筆者プロフィール


鈴木郁子
(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。 
 
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)