『グリーン・ノウの魔女』は確か6年生の冬、叔父に買ってもらった1冊だ。私にとって、グリーン・ノウは、「今」と「今でないもの」がいっしょになっている知らない世界、〈あらゆるふしぎの中でいちばんふしぎなことが起こっても当然〉な場所だった。つるつるした肌触りの「力の石」、魔法玉に映った部屋、少しずれた時を映し出すペルシャ鏡。作者ルーシー・M・ボストンが丹念に描写する物のむこうには、「見知らぬ世界からの驚異」が潜んでいる。息子ピーターによる陰影深い版画も忘れられない。私の奥深くにあった魔法への憧れを呼び覚ました本だった。
物語は、グリーン・ノウの館を乗っ取ろうとする魔女メラニー・デリア・パワーズと、館の主オールドノウ夫人、孫息子のトーリー、中国人の養子ビンとの緊張に満ちた戦いを描く。目の前で起こる事件のかげに、いくつもの「とき」が重なり、たとえば「過去」の幽霊が、唐突に「今」に混じりこむ。魔女に訪問されるのは御免だが、やさしいゴリラの幽霊には会ってみたい。グリーン・ノウの本を読むあいだ、私は間違いなく「今」と「今でないもの」がいっしょの場所に生きていた。
大人になってから林望のエッセイを読み、イギリスのボストン夫人の家に下宿した彼を、どんなに羨ましく思ったことか。住むなら古い家に、という夢をささやかな規模でかなえ、2年前から神奈川の中古の家で暮らしている。春になると、庭の片隅に、植えてもいない水仙が顔を出す。壁のひっかき傷は……きっと前の住人も猫を飼っていたにちがいない。そんなひとつひとつの出来事に、子どものころ読んだこの本の記憶がよみがえる。ふしぎなことが起こってほしいと、私は今も願っているようだ。
●野坂悦子(のざか・えつこ)
1989年に、オランダ語の絵本『レナレナ』(リブロポート)で翻訳家としてデビュー。面白い本や人と出会いたくて、日本とヨーロッパを行き来している。『おじいちゃん わすれないよ』(金の星社)で産経児童出版文化賞大賞を受賞。2001年より、紙芝居文化の会(IKAJA)に加わり、日本の文化である紙芝居を世界に広める活動もしている。
■わたしがくりかえし読む本
『九月姫とウグイス』
野坂悦子さんのHP
●ここに出てくる本
『グリーン・ノウの魔女』
[改訂新版]
〈グリーン・ノウ物語5〉
●ルーシー・M・ボストン/作
●ピーター・ボストン/絵
●亀井俊介/訳
●評論社
『九月姫とウグイス』
●サマセット・モーム/文
●武井武雄/絵
●光吉夏弥/訳
●岩波書店