―物語にヘザルフェン・アフメト・チェレビ(注1)の名が出てきます。彼の存在にヒントを得ましたか
M・İ:はっきり、得た、と言えます。私たちのDNAに隠されている空を飛びたいという望みと、チェレビが飛行に成功したことは、作品に加えなければならないと考えました。彼がいなければ、作品には大きく欠けたところが残ったはずです。
―登場人物としてホームレス(らしき)おばあさんが出てきます。このひとを登場させた理由はなんですか
M・İ:貧しいひとに対する偏見を描くためです。今日、トルコまたはイスタンブルにおいて、このような貧しいひとに行き会う確立は非常に高い。作品に出てくるおばあさんは、読者が貧しいひとたちに対する理解を進める一助となる存在です。
―実際に本を手にしたとき、この作品を書き切ったと思えましたか
M・İ:私はどの本も完ぺきではないと思っています。もしくは、こうも言えるかもしれません。「どの本も、その本自身の在り方を選ぶ」と。作家として何を書いたとしても、本は自分自身で道を見つけるものです。どんな本でもそうだと思います。『とんだ火曜日』も、そうなのだと思っています! きっと他のときであれば、またまったく違う『とんだ火曜日』を書けたでしょう……。そう思うと、足りないところは必ずどこかにあるのです。でも、それはまったく重要でないと思いますよ。
―挿し絵を手がけたムスタファ・デリオールのことは以前から知っていましたか
M・İ:いいえ。この作品のおかげで知り合うことができました。ムスタファ・デリオールの絵、デザイン、私は大好きです!
― 一般書では基本的に挿し絵はありません。自分の文章が挿し絵によって強化される、というのはどんな感覚でしたか
M・İ:非常に刺激的でした……。自分の作品をもう一度書いていただいたような気分です。もっと先のことになると思いますが、私がとてもやってみたいことのひとつが、これ。自分が書いた本を、自分でデザインして、作品を二度仕上げるという気持ちを味わうことです。
―スィベルが夢を見る場面はある意味ファンタジーです。空を飛ぶ、腕輪に願えば願いがかなうといったような。ミュゲさんがいずれ書こうとしているファンタジーは、これとは異なり、私たちが日ごろ疑っていない「普通の」感覚をひっくり返すような、意識の在り方が変化してしまうような、かつリアリズムが根底にある世界である気がします。いかがでしょう。
M・İ:ああ、これは私の言いたかったことを表現していただきましたね! そのとおりです。私がファンタジーを書くなら、そういう世界を書かなくてはなりません。これはノートにメモしておきましょう。
●ミュレン・ベイカンのひとこと
―挿し絵をムスタファ・デリオールに依頼したとき、どういった話し合いをしましたか
本作のために、さまざまな視点からの場面アプローチをお願いしました。ムスタファ・デリオールは、すばらしい解釈を見せてくれました。主人公の少女の家と彼女が大空を飛ぶ場面では、上空から見た鳥瞰の構図を用いる。パザルに立つ電柱の場面では上からの俯瞰を用いる一方で、パザルを歩く場面では子どもの目線の高さで描くといった具合です。
それを水彩画のテクニックを用いて淡い色で色付けしてほしい、濃い色は望まない、ということを彼に伝えました。この色の問題については、何度も彼のアトリエを訪問し、デザインについての話し合いを重ねなくてはなりませんでした。というのは、彼の作品の多くを見たかぎり、濃い色を使いがちであるということを知っていたからです。結果として、私たちの望んだ色のトーンを保ってくれました。
ムスタファ・デリオールのような芸術家と仕事ができるのは、特別なことですね。
注1:Hezârfen Ahmed Çelebi。1609~1640。オスマン帝国時代の知識人、発明家とされるが、資料があまりに少ないことから伝説上の人物である可能性も指摘されている。1632年、人工の翼を用いて、イスタンブルのヨーロッパサイドにあるガラタ塔から、ボスフォラス海峡の対岸にあるウスキュダルまでの約3000メートルの滑空に成功したとされる。
ガラタ塔。イスタンブルのランドマークのひとつ
ガラタ塔内にある、ヘザルフェン・アフメト・チェレビのモニュメント
ガラタ塔からアジアサイドをのぞむ。ヘザルフェン・アフメト・チェレビは写真の左はしより少しまん中寄りに着地したといわれる
●著者紹介
(ミュゲ・イプリッキチ)
イスタンブル生まれ。アナドル高校卒業後、イスタンブル大学英語学・英文学学科を修了。イスタンブル大学女性学学科および、オハイオ州立大学で修士課程修了後、教員として勤務する。
当初は短編で知られていた。『タンブリング』(1998)をはじめとして、『コロンブスの女たち』、『明日のうしろ』、『トランジットの乗客』、『はかなきアザレア』、『短気なゴーストバスターズ』、『心から愛する人びと』など。小説には『灰と風』『ジェムレ』(アラビア語に翻訳された)、『カーフ山』(英語に翻訳された)、『美しき若者』、『父のあとから』、『消してしまえ頭から』など。これに加え、『廃墟の街の女たち』、『ピンセットが引き抜くもの』(ウムラン・カルタル共著)、『わたしたちは、あそこで幸せだった』などの論考を発表している。現代という時代、日常の中にある人びと、人間関係、人間関係の一部である女性に関するテーマを好んで取り上げる。
児童・ヤングアダルト向け作品には、『とんだ火曜日』(ドイツ語に翻訳された)、『不思議な大航海』、『目撃者はうそをついた』、『隠れ鬼』、『石炭色の少年』、『アイスクリームはお守り』、『おはようの貯水池』など。
トルコ・ペンクラブ女性作家委員会の委員長を4年務め、長年、研究者及びコラムニストとしても活動した。現在、メディアスコープtvにおいて「オリーブの枝」、「シャボン玉」という番組のプロデューサー兼司会者を務めている。また、子どもたちと共に出版した雑誌「ミクロスコープ」の編集長でもある。
©Müge İplikçi
Müren Beykan
(ミュレン・ベイカン)
1979年、イスタンブル工科大学を卒業。1981年、同大学建築史と修復研究所で修士を、2004年にはイスタンブル大学の文学部考古学部で博士を修める。博士論文は、2013年、イスタンブル・ドイツ考古学学会によって書籍化された。1980年以降は、1996年にイスタンブルで開催されたHABITAT II(国連人間居住会議)のカタログの編集など、重要な編集作業に多く参加する。
1996年、ギュンウシュウ出版創設者のひとりとして名前を連ねる。現代児童向け文学、ヤングアダルト文学の編集、編集責任者、発行者として活動する。ON8文庫創設後は、ギュンウシュウ出版と並行して、こちらの編集責任者も務めている。
(写真は、ミュゲ・イプリッキチのYouTubeチャンネル「オリーブの枝」に出演したときのもの)
Mustafa Delioğlu
(ムスタファ・デリオール)
イラストレーター。1946年、トルコのエルジンジャン生まれ。1968年からイラストレーターとして活動する。1975年に個人のアトリエを開設し、主に、本の表紙と児童向け作品の絵を手がける。独自のスタイルを構築し、展覧会も開催している。ギュンウシュウ出版では『ノミがとこやでラクダがよびこみ』(2008)、『とんだ火曜日』(2010)、『力をなくした王さま』(2011)、『おはなしはピョンピョンとびまわる』(2015)などの挿し絵を手がけている。妻とともにイスタンブルに暮らす。
●著者紹介
鈴木郁子(すずき・いくこ)
出版関連の会社に勤務後、トルコへ留学。イスタンブルで、マルマラ大学大学院の近・現代トルコ文学室に在籍し、19世紀末から現代までのトルコ文学を学ぶ。修士論文のテーマは『アフメット・ハーシムの詩に見える俳句的美意識の影響』。
帰国後は、トルコ作品、特に児童書やヤングアダルト作品を日本に紹介しようと活動を続けている。トルコ語通訳・翻訳も行う。トルコ文芸文化研究会所属。 著書に『アジアの道案内 トルコ まちの市場で買いものしよう』(玉川大学出版部)、翻訳に『オメル・セイフェッティン短編選集』(公益財団法人 大同生命国際文化基金)