企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 
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第1回
 

 
一、砂と水と風と
 
むしろ、『砂の女』は風の小説ではなかったか。すくなくともそれは、砂と水と風とが交わしあう声の交響として読まれるべき作品である。あらかじめ指摘しておきたいと思う。この砂丘を舞台とした小説のなかには、風がひっそりと遍在している。そこかしこに、風が吹いている、風が鳴る、風が匂う。
風の描写を拾ってみようか。第一章には、激しい風、季節風、風に吹きちらされる、砂に刻まれた風紋、風の向きのわるい日、屋根の上で風が鳴っていた、去年の大風、はためく風、北風の季節、などと見える。
第二章になると、あきらかにより陰影に富んだ風の描写へと変化してゆく。たとえば、穴の底では、皮膚に風をあてる、穴のふちをかすめて走る風のふくみ声、空いっぱいにこもって鳴る風の音、ずっと上のほうで風がまき返している音、といった描写である。それが、穴の外に出てからは、鼻に吹きこむ風、風といっしょに吹きつける砂、風に鳴るトタン屋根の音、速度のちがう風の摩擦音、足元の風紋、風に辛い潮の味がまじる、犬は風によろけながら、風で手拭がめくれ上がった、音を立てて狭い喉の隙間を流れる風の味、といった描写に変化してゆく。穴の底から脱出した瞬間には、「その四十六日目の自由は、はげしい風に、吹きまくられていた。這いつくばっていると、顏や首筋に、ちかちか砂の粒が突きささった」[24]と見える。
第三章には、十月の風には、せつないほどの悔恨のひびきがこめられている、あとにはただ暗い北風が、ほとぼりのかけらさえ残さずに吹きすさぶばかりである、といった濃やかに情緒的な風が登場している。
ところで、最初に風の描写が見いだされるのは、男が砂と虫をもとめて砂丘のムラに足を踏み入れ、急なのぼり坂をたどって、ほかならぬ小説の舞台となる砂の穴とはじめて遭遇したときである。
  

  • 一体どんな暮しをしているのか、奇怪な思いで深い穴の底の一つをのぞきこもうと、縁にそってまわりこむと、とつぜん激しい風に、息をつまらせた。いきなり視界がひらけ、にごった海が泡立ちながら、眼下の波打ちぎわを舐めていた。目指す砂丘の頂上に立っているのだった。[2]

穴の底のほうを覗きこむことはなかった。突然の激しい風によって、「奇怪な思い」はゆき場を失い、逸らされたのである。そこにいかなる現実が秘め隠されているか、男は間もなく、身をもって体験させられるのであるが、むろん、まだそんなことは知らない。深い穴の背後には、海があった。砂丘のいただきに立っていた。
そして、最後のページにいたって、男が幽閉されている穴の底から縄梯子を伝って地上に出たとき、やはり風が吹いている。
 

  • 口から、息を叩きおとすように、風が吹いていた。穴のふちをまわって、海の見えるところまで、登ってみる。海も黄色く、にごっていた。深呼吸をしてみたが、ざらつくばかりで、予期していたほどの味はしなかった。振向くと、部落の外れに、砂煙が立っている。[31]

男はどちらの場面でも砂の壁の縁に立っている。そこは、穴の底という閉ざされた世界の内と外とを分かつ境界である。身体、とりわけ視線の運動は穴の縁から底へ/穴の縁から外へ、といかにも対照的である。そして、男はそこで、激しい風に、息を詰まらせる/息を叩き落とされる、のだ。それから、穴の縁に沿ってまわり込むと、濁った海が横たわっている。海から吹きあげてくる風であったか。
当たり前ではあるが、意識が内向しているときには、風の描写は現われない。穴の底で、小さく縁取られた外なる世界に意識が開かれているとき、砂の壁の向こうから風が降りてくる。そこではたしかに、風を皮膚や五感でじかに感じとることはむずかしい。かすかな音や声。風は遠くにある。穴の外に脱出したとき、はじめて、まるで異質な肌ざわりの風が即物的に吹き寄せてくる。
いずれであれ、『砂の女』という作品を、ただちに風の物語として読むことはできない。風はいわば、砂や水のような鉱物的現実ではなく、見えない大気の揺らぎや流れといった現象であるからだ。風は流動するモノではなく、流動それ自体である。だから、それはあくまで通奏低音でなければならない。通奏低音としての風が、そこかしこを吹きわたりながら、気がつくと黒子のように作品全体を下支えしている。
風にはうしろ髪を引かれるけれども、ここまでにしておく。風を背後に沈めながら、『砂の女』一篇を砂と水の対話篇として読んでゆくことにする。これほど親しげに、砂と水とがひそやかな睦言を交わしあう小説を、わたしは知らない。
 
        ☆
 
『砂の女』のはじまりに置かれた、「八月のある日、男が一人、行方不明になった」という一行は、思えば、とても奇怪なものだ。ここにはひとつの切断が隠されている。突然、ひとりの男が行方不明になった、つまり姿を消したのである。それ以降、ついに生死をふくめた男の消息はまったく知られることがないままに、作品の結末にいたって、「失踪に関する届出の催告」および「審判」という二通の公的書類がそっけなく提示されて、この失踪のドラマはとりあえず幕を降ろす。民法第三十条によって、男は死亡の認定を受けたのである。しかし、主人公であるはずの男はそもそも、そのいっさいの経緯を知らず、最後まで蚊帳の外に置かれている。去られた人たち/去った人、ふたつの方位をたがえる眼差しは、ついに交叉することがない。この切断のもとでは、こまやかなイマジネーションの行き交いはかけらも見いだされない。ともあれ、これは失踪という名のドラマからは遠く、死んだ男の、その後の物語である。
この男は昆虫採集のために、ひとり旅に出ていた。妻の証言である。その先はごくかぎられた情報があるだけで、消息は不明のままに終わる。周囲には一度も打ち明けたことがなかった男の昆虫採集という趣味は、残された人々の想像をいたく刺戟する。一人前の大人になって、なお役にも立たぬ昆虫採集などに熱中できることに、すでにして奇異の念がもたれる。昆虫採集家のまわりには、「旺盛な所有欲の持主」「極端に排他的」「盗癖の所有者」「男色家」といった負のイメージが漂い、採集マニアのなかには、採集よりも「殺虫瓶のなかの青酸カリ」に魅せられている者さえいるそうだ、などと語られる。そうして厭世自殺を疑われたりするわけだ。この青酸カリには、あらためてどこかで触れることになる。
むろん、男は生きていた。もし生還がかなったならば、『砂丘の悪魔』か『蟻地獄の恐怖』などと題した記録を残したいとも考えるが、この男が作者に成りあがることはないだろう。『砂の女』における作者、あるいは語り手の視点は、興味深いテーマであるが、曖昧なままに捨てておく。
さて、死んだ男の視点から語りなおさねばならない。はじまりの一行の再演である。
 

  •  ある八月の午後、大きな木箱と水筒を、肩から十文字にかけ、まるでこれから山登りでもするように、ズボンの裾を靴下にたくしこんだ、ネズミ色のピケ帽の男が一人、S駅のプラットホームに降り立った。[2]

登山家風でもあったが、やはり昆虫採集家のいでたちのようでもある。男の関心はまっすぐに、砂と虫だけだった。砂地に棲む昆虫の採集こそが、男の目的だった。その習性として、「足もとから半径三メートルばかり」[3]の世界に、注意力のすべてを集中しながら、俯きがちに歩く。「人のいやがる双翅目の、それも蠅の仲間」[2]を追いかけているうちに、「すべての生物が死に絶えた、沙漠のような」[2]生態環境に向かうことになった。そうして、「代表的な沙漠の昆虫」[2]であるハンミョウ属に関心が絞り込まれていった。その帰結として、沙漠への、砂への関心が芽生えたのである。
ここでは、以下の一節に注意を寄せておく必要がある。
 

  • 昆虫採集には、もっと素朴で、直接的なよろこびがあるのだ。新種の発見というやつである。それにありつけさえすれば、長いラテン語の学名といっしょに、自分の名前もイタリック活字で、昆虫大図鑑に書きとめられ、そしておそらく、半永久的に保存されることだろう。たとえ、虫のかたちをかりてでも、ながく人々の記憶の中にとどまれるとすれば、努力のかいもあるというものだ。[2]

新種の発見という手柄を立てた採集家には、このうえない栄誉があたえられる。ラテン語の学名/発見者の名前がセットになって、昆虫大図鑑に半永久的に記録され、人々の記憶の片隅に留まることが許されるのだ。採集マニアが執着する新種の発見の背後に、そのような心的な機制が沈められているのだとしたら、あきらかにそこには、ある体系的な秩序や制度の内側にみずからを登録することへの欲望が認められる。定着への志向といい換えてもいい。昆虫採集そのものには、なにかしら儚い遊動的な気分がつきまとうが、「人のいやがる双翅目の、それも蠅の仲間」を追いかけるといった行為はむしろ、ちっぽけな栄誉にたいする生臭い欲望にこそ支えられており、けっして無邪気なふるまいといったものではない。昆虫採集家には、どこかひき裂かれた奇妙な印象がまといつく。中途半端な野心を抱いた、小市民的なノマドといったところか。きわめて周到に選ばれた主人公であったか、と思う。
 
        ☆
 
砂の遊動性というテーマへと繋がってゆく。
砂とは何か、という問いが、これほどに深刻に問われたことはあったか。あらかじめあきらかにしておけば、わたしは『砂の女』という作品を、遊動と定住という視座から読みなおしたいと考えている。ここでは、砂こそが当然のごとくに作品の中核に鎮座している。地質学的な、また流体力学的な実体(モノ)には留まらず、ときには隠喩的な、ときには寓意的な地平へとはるかに逸脱しながら、たとえば砂の詩学といったものへとやわらかく受肉が果たされている。わたし自身は、ことに砂の遊動性に関心をそそられてきた。それはさらに、砂と水の形而上学の試みへと深められてゆく。
砂と名づけられている直径1/8m.m.の粒子が帯びる特別な意味に、眼を凝らさねばならない。砂とは、岩石が砕けてできる、石ころと粘土の中間物であるが、石/砂/粘土の三つの相ははっきり区別されて存在する。砂は特別にふるい分けられて、独立した沙漠や砂地になるが、奇妙なことに、それが砂であるかぎり、どこであっても、その粒の大きさは1/8m.m.を中心にしてほとんど変化がないのだ、という。
さらにそれは、「流体力学に属する問題」[2]として説かれている。水であれ空気であれ、流れはすべて乱流をひき起こし、「その乱流の最小波長が、沙漠の砂の直径に、ほぼ等しい」[2]らしい。煙(けむ)にでも巻かれたように、わたしはすっかり砂の流体力学の俘虜(とりこ)になり果てる。地上に大気や水の流れがあるかぎり、砂は次々に土壌のなかから産みだされ、生きもののように這いまわり、砂地を形成し、静かに、確実に、地表を侵犯してゆくのだ、という。
これに続く一節には、砂の遊動性がいくらか唐突に、定着/流動という二元論のもとで説かれている。
 

  •  その、流動する砂のイメージは、彼に言いようのない衝撃と、興奮をあたえた。砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいなどではなく、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、一切うけつけようとしない点にあるらしいのだ。年中しがみついていることばかりを強要しつづける、この現実のうっとうしさとくらべて、なんという違いだろう。
  •  たしかに、砂は、生存には適していない。しかし、定着が、生存にとって、絶対不可欠なものかどうか。定着に固執しようとするからこそ、あのいとわしい競争もはじまるのではなかろうか? もし、定着をやめて、砂の流動に身をまかせてしまえば、もはや競争もありえないはずである。現に、沙漠にも花が咲き、虫やけものが住んでいる。強い適応能力を利用して、競争圏外にのがれた生き物たちだ。たとえば、彼のハンミョウ属のように……[2]

流動する砂というイメージは、とても魅力的なものだ。砂の不毛とは、乾燥に起因するのではなく、その絶えざる流動によって、いっさいの生き物たちが生存を拒まれていることを意味する、という。孤高の表情である。しかし、それに続けて、「年中しがみついていることばかりを強要しつづける、この現実のうっとうしさ」となると、なにやら唐突ではないか。さらに、段落があらたまって、定着という言葉が登場した途端に、展開はいよいよ不穏なものと化してゆく。男の無意識が一瞬にして、むき出しに開花したようだ。定着ははたして、生存にとって絶対に欠かすことができない条件なのか、定着に固執するから厭うべき競争がはじまるのではないか、という。そして、砂の流動性に身をまかせればいい、という提案がなされるのだ。それから、沙漠という厳しい生態環境に、それゆえ競争の圏外へと逃れた生きものとして、ハンミョウ属が名指しされるのである。
論理的には、いかにもアクロバット的ではなかったか。むろん、破綻しているのである。これを後追いする、「流動する砂の姿を心に描きながら、彼はときおり、自分自身が流動しはじめているような錯覚にとらわれさえするのだった」[2]という一文が、すべてを物語りしている。それは男が必要としていた夢か妄想のたぐいにすぎない。新種のハンミョウ属をもとめて、砂丘へとやって来た男にとって、定着と競争とが合わせ鏡になった世界にたいする忌避感情は、そのままにアイデンティティの核に絡みつくものであった。遊動への憧れこそが、砂と虫への偏愛の裏側に貼り付いていたのだ、といってもいい。
ところで、穴の底の捕囚となってからの男は、いやおうなしに砂に関する実践的な学びを強いられることになる。そこはいわば、砂の遊動性という牧歌的なイメージがしだいに揺らぎ、懐疑にさらされてゆく現場であった。
たとえば、流動する砂には、思いがけず腐敗というテーマが絡んでくる。砂の女があくまで経験的に、砂は家の梁だって下駄だって、腐らせる、いっしょに砂も腐る、と断定したのにたいして、男は困惑し、苛立ちを募らせる。みずからの内に棲みついていた、それなりにたしかな関心と学習の成果でもある砂のイメージが、女の無知によって冒瀆されたような気分になったのだ。砂は乾燥しているもので、材木を腐らせるはずがない、それが揺るぎなき確信だ。
 

  • 砂ってやつは、こんなふうに、年中動きまわっているんだ……その、流動するってところが、砂の生命なんだな……絶対に、一カ所にとどまってなんかいやしない……水の中だって、空気の中でだって、自由自在に動きまわっている……だから、ふつうの生物は、砂の中ではとうてい生きのびられやしません……腐敗菌だって、その点は、同じことです……まあ、言ってみれば、清潔の代名詞みたいなもので、防腐の役目はするかもしれないが、腐らせるだなんて、とんでもないことだ……まして、奥さん、砂自身が腐るだなんて……第一、砂ってやつは、れっきとした鉱物なんですよ。[4]

たえず流動しつづける砂のなかでは、あらゆる生物が生存を許されない、というテーゼが反復されている。腐敗菌だって生きものであるかぎり、例外ではない。そして、決めゼリフとなるはずだった。砂は鉱物である、だから、砂が腐るなんてことはありえない、と。女はもはや体を固くして、沈黙の殻に閉じこもるだけだ。
やがて、白旗を揚げるのは砂の女ではない、男のほうだ。砂掻きを拒んで立て籠もった男が、怒りにまみれて、穴の底の家の板壁にスコップを突きたてたとき、それは一瞬にしてむき出しになる。スコップは「しけった煎餅のような手応え」で、板壁を突きとおしてしまう。すでに腐りかけていたのだ。男はそうして、砂が木を腐らせるという女の言葉は、「どうやら事実だったらしい」と気づかされる。「よくも、こんなぶよぶよの家が建っていられたものである……傾き、ゆがみ、半身不随になりながら」[19]と、おそらくは茫然自失しながら思うのである。女の経験知がまさった、ということだ。それからも、男は穴の底で心ならずも経験を重ねて、「砂が湿気をよぶこと」[24]をひとつの真実として受け容れるにいたる。むろん、これは最後になって唐突に訪れる、砂と水をめぐるどんでん返しの情景に繋がってゆく、ささやかな伏線である。
あるいは、流動する砂はまた、そうして特定の形をもたぬゆえに破壊的な力を帯びている。その認識は比較的に早く訪れている。男はいまだ、砂掻きという労働を強いられる立場に追い込まれつつあることにすら気づいていない。だから、他人事のように、穴の底の家を観察して、こう推理を重ねてゆくのである。
 

  • この家はもう、半分死にかけている……流れつづける砂の触手に、内臓を半分くいちぎられて……平均1/8m.m.という以外には、自分自身の形すら持っていない砂……だが、この無形の破壊力に立ち向えるものなど、なに一つありはしないのだ……あるいは、形態を持たないということこそ、力の最高の表現なのではあるまいか……[5]

こうした砂がはらんだ「無形の破壊力」は、かつては繁栄を謳歌した都市や大帝国を滅亡させ、呑みこんできたのではなかったか。男は考える、「だれ一人、その不動を疑ってみさえしなかった、古い町々……しかし、それらも、直径1/8m.m.という、流動する砂の法則には、ついにうちかつことが出来なかったのだ」[6]と。穴の底に捕われて暮らしながら、男はしだいに、砂の遊動性がけっして牧歌的なものではないことを、実践のなかで学んでゆく。砂はその流動性によって、ときに木材や家に腐敗をもたらす源になり、ときに町や都市を呑み込んでゆく破壊力を有しているのだ、と。
 
       ☆
 
たとえば、砂と水の形而上学について語らねばならない。形をもたないこと、つねに流れ続けること、ものを腐らせること。すでに、砂と水との奇妙な親近性は、語らずして語られていたのかもしれない。『砂の女』を砂と水の対話篇として読んでみたい、と書いた。砂と水とが仲睦まじそうに寄り添いあう姿に、眼を凝らさねばならない。流体をめぐる力学から、詩学へ。
男の夢想のなかに、つかの間姿を現わした水の家・砂の船にまつわる映像イメージは、かぎりなく美しく、幻惑的であった。まだ、男は砂掻き労働のほんの手前にいて、遊動する砂のまどろみのかたわらにいる。
 

  •  砂のがわに立てば、形あるものは、すべて虚しい。確実なのは、ただ、一切の形を否定する砂の流動だけである。しかし、薄い板壁一枚をへだてた向うでは、相も変らず、砂掻きをつづける女の動作がつづいていた。あんな女の細腕で、いったい何が出来るというのだろう。まるで、水をかきわけて、家を建てようとするようなものじゃないか。水の上には、水の性質にしたがって、船をうかべるべきなのだ。[6]

むろん、思いつきではあった。流動する砂にあらがう砂掻きを労働として課せられ、ただ黙々と働きつづける女に苛立ち、たぶん怯えらしきものに駆り立てられている。男は思うのだ、砂掻きなど、まるで水を掻き分けて家を建てようとするような、無謀な振る舞いではないか、と。水のうえには家ではなく、船を浮かべるべきだ。そう考えた瞬間、なにかがはじける。その思いつきが、女が砂を掻きつづける音の奇妙な圧迫感から、男を解放してくれたのである。
 

  • 水に船なら、砂にも船でいいはずだ。家の固定観念から自由になれば、砂との闘いに無駄な努力をついやす必要もない。砂に浮んだ、自由な船……流動する家……形のない村や町……[6]

この美しく儚いまぼろしは、『砂の女』が産み落とした遊動する砂をめぐる思考の結晶であった、といっていい。砂に浮かべられた船、流れ移ろいゆく家、形をもたない村や町……。水に船ならば、砂に船であってもいいだろう。水も砂も流動つねなきものであり、ならば沙漠をゆく砂の船があっていい。家「やら船やらを呪縛している固定観念から自由になることができれば、砂と闘うといった無駄な努力からも解き放たれるはずだ。
 

  •  もちろん砂は、液体ではない。だから浮力に期待するというわけにはいかない。たとえ、砂より比重の軽い、コルク栓のようなものでも、ほうっておけば、自然に沈んでしまう。砂に浮べる船は、もっとちがった性質をもっていなければならないのだ。たとえば、ゆれ動く樽のような形をした家……ほんのわずか、廻転すれば、かぶった砂をはらいおとし、すぐまた表面に這い上る……もっとも、家全体がしじゅう廻転のしつづけでは、住んでいる人間が不安定でやりきれまい……そこで、一工夫して、樽を二重にする……内側の樽は、軸を中心に、底がつねに重力の方向にむかっているようにすればよい……内側は固定したまま、外側だけがまわるのだ……大時計の振子のように、ゆれ動く家……ゆりかごの家……沙漠の船……
  •  そして、それらの船が集って出来た、振動しつづける、村や町……[6]

水と砂とが共有している、形あることの否定や流動性をテコにして、家や船や町にかかわる固定観念から、やわらかく、したたかに解放されること。その向こう側に、ほんのつかの間、線香花火のように明滅をくりかえしつつ結ばれる幻想に、眼を凝らしてみたい。砂に浮かぶ船から、移ろい流れてゆく、揺り籠のような家へ。そして、沙漠をゆく船の群れと、それらの船がゆるやかな船団となって、しかも形あるものへと生成を遂げることなく、絶えざる振動のなかに村や町や都市へと連なってゆく……。
東日本大震災のあとに、建築物の恒久性にたいして懐疑を覚えたことがあった。やわらかく壊れる家ならば、暮らす人たちが地震でも圧死せずに逃げられるかもしれない、水に浮かぶ家を造れば、津波にも船のように浮かんで耐えられるかもしれない、と思った。だから、穴の底の男がつかの間思い描いた奇想が、妙にリアリティをもって感じられるのだ。砂に浮かべる船は、樽のような形をした家だ。内側の樽は固定したままに、大きな廻転する樽の家。もはやそれは、水にも砂にも浮かべられる家であり、船でもある。揺り籠の家と沙漠の船とが、いまひとつになる。
水の不思議さにも触れておきたい。砂が鉱物であるのは当然だが、なんと、水についても「砂と同じ鉱物でありながら、どんな生物よりも、やさしく体になじんでくれる、透明で単純な無機物」[7]という説明が施されている。水もまた鉱物であったのか。男がこのとき思念を揺らしていた「石を食う獣」について、わたしもまた、イマジネーションを刺戟される。土を喰らう婆の昔話ならば知っているが……。水を舐める、砂を噛む、石を喰らう……と、連想は転がってゆく。水と砂とを隔てる、境の渚に、もうひとつの家を建て、もうひとつの船を繋いでやろうか。『砂の女』の奇想は儚く、しかし、知の豊饒なる可能性に向けてしなやかに開かれていたにちがいない。
そういえば、なんとも周到なことに、食器の汚れを、水の代わりに砂でこすって落としたり[10]、手鼻をかんで、すくい上げた砂を両手でもんで紙代わりにしたり[20]、といった場面がさりげなく挿入されている。あるいは、砂の流れに押し流されることはあっても、やはり水とはちがう、砂に溺れたなどという話は聞いたことがない[10]とか、いくら流れ動くといっても、砂は水とはちがう、「水は泳ぐことができるが、砂は人間を閉じこめ、圧し殺す」[13]とか、水と砂との奇妙な比較が随所に見いだされる。
さて、どうしても触れておきたい個所がある。穴の底からの逃亡劇のさなかに、それゆえに、男が穴の生活との対比において見いださずにはいられなかった、異様に緊迫した、妖しいまでに人恋しい、金色に輝く砂丘の稜線の美しさについて、である。
 

  • 美しい風景が、人間に寛容である必要など、どこにもありはしないのだ。けっきょく、砂を定着の拒絶だと考えた、おれの出発点に、さして狂いはなかったことになる。1/8m.m.の流動……状態がそのまま、存在である世界……この美しさは、とりもなおさず、死の領土に属するものなのだ。巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさなのだ。[24]

風と水が砂に刻んだ風景の紋様である。砂丘の稜線、1/8m.m.の流動状態がそのままに、存在の造形でありながら、死の領土に帰属させられている世界の美しさ、という。それならば、わたしも目撃したことがある。東日本大震災のあとのことだ。十数メートルの黒い津波に舐め尽くされた、福島県南相馬市の海岸にいた。津波もまた、流動する水と砂とが織りなす暴力の結晶、あの無形の破壊性の顕現ではなかったか。人間たちが長い歳月をかけて、鉄骨や石やコンクリートを素材にして織りあげてきた橋や道路や、建物や墓地や、排水機場などが、ひとつ残らず破壊され、いずこへとも知れず押し流された河口にいたのだった。季節はいつであったか。切られるように寒かった。怖かった。あまりに凄絶な、むごたらしい海辺の風景に、息を継ぐことも忘れていた。とがった疚しさが下腹あたりにあった。それでも、ひとをまったく拒み抜いた、その風景の非情な美しさに打たれた。忘れることはない。わたしはそのとき、きっと、「巨大な破壊力や、廃墟の荘厳に通ずる、死の美しさ」に立ち会っていたのだ、といまにして思う。

 
 
 
 



 

函入り単行本 1962年
 

文庫 1981年
 
『砂の女』
 安部公房
 新潮社