現代トルコ文学史においては、以下のようにいわれています。
「1940年代から60年代、トルコでは、デモクラシーへと門が開かれた。それは同時に、文学においても、これ以降に続く作品ジャンルや思想の多様化の始まりでもあった」
第二次世界大戦の終結は、ヨーロッパに定住するトルコ人の増加とともに、価値観の変化をトルコ文学界にもたらしました。ヨーロッパ文化をより身近に感じるようになった作家たちが、その流れをトルコにもちこんだからです。ですから、1940年代から60年代に生まれた作家たちは、新たなトルコ文学や雑誌の大きな影響を受けて育ってきたといえると思います。
今回は、これをふまえて、セルピルさんもふくめた1940年代から60年代生まれの、現代トルコの第一線で活躍している作家たちと児童文学の関係についておうかがいします。
──この年代生まれの作家たちは、子ども時代、学生時代にどのような本、雑誌を読んできたのでしょう?
セルピル・ウラル(以下、S・U) 1940年代、当時の児童保護庁から雑誌「こどもたち」「友だちドーアン」「週刊こども」が発行されました。同時に、ジャーヒット・ウチュク(筆者注:1911~2004。トルコの女性作家、児童文学作家。『トルコのふたごの兄弟』で知られる)の斬新な作品、セルマ・エミルオール(注:1927~2011。トルコ初の女性漫画家)やムストゥック(注:1930~2000。本名ムスタファ・エレメクタル。トルコの漫画家、アニメ作家)の漫画が子どもたちに届けられた時期でもあります。
1940年代の後半には、「キャプテン・スウィング」「ターザン」「ミッキーマウス」「ドナルドダック」(注:いずれも原作はアメリカ)などの翻訳漫画や、トルコの伝説的英雄をテーマにした「キョルオール」が、この世代の作家たちに愛されました。さらに、レッドハウスとアルクン出版が、児童保護庁の協力のもと、初めて就学前の子どもたちのための本を出版しはじめた時期でもあります。一方で、トルコの民話にも光があたりはじめ、ペルテヴ・ナイリ・ボラタヴ(注:1907~1998。トルコの伝承・民族学者。民話作家)がアンカラ大学でトルコ民話学の学会を開いたり、ワークショップを開催したりしもしました。そして、ナキ・テゼル(注:1915~1980。トルコの伝承・民族学者)やエフラトゥン・ジェム・ギュネイ(注:1896~1981。トルコの民俗学者。民話作家)がトルコ民話選を発表しました。
──この世代の作家たちは、外国語からトルコ語に翻訳されたどのような作品を読んでいたのでしょうか? 実例を教えてください。
S・U 1928年に、それまで使われていたアラブ文字の代わりにトルコ語のアルファベットが新たに設定されてのち、世界的に有名な作品が、どんどんトルコ語に翻訳されるようになりました。ですから、1940年代に生まれた作家たちは、幼少時代から翻訳作品に触れることができたのです。『ガリバー旅行記』『不思議の国のアリス』『ハーメルンのふえふき男』『秘密の花園』『アルプの少女ハイジ』『小公子』、ジュール・ヴェルヌの作品、イソップ童話、アンデルセン童話、グリム童話などです。もうすこし大きな子どもたちには、『若草物語』『少女ポリアンナ』などがありました。
──翻訳作品が身近にあったことは、この世代の作家たちにどのような影響をおよぼしたとお考えですか?
S・U 翻訳作品は、この世代の作家たちが、トルコ共和国という自分たちの属するところとは異なる、ヨーロッパの生活文化を学ぶ基本的な教科書の役割を果たしたといえるでしょう。そして、世界のどこにあっても、子どもたちはたがいによく似ているのだ、ということを教えてくれたと思います。ですから、彼らは外の世界を見て認識するという、広い視野を身につけることができたのです。
──1940年代から60年代生まれのなかから、お話しいただいた特徴に秀でている作家をお教えください。児童文学作家だけでなくてもかまいません。
S・U では、生まれた順にいきましょう。
1942年生まれのイペッキ・オングンは、ヤングアダルトの、とくに少女たちのために作品を書いています。『秘密の日記』『友達の間で』などですね。作品では、ヨーロッパ風の生活文化がみてとれます。彼女の作品の登場人物や題材は、自身が子ども時代に読んだ『若草物語』などから影響を受け、それをトルコ文学として新たに書き起こしたものといえるでしょう。
それから、1945年生まれのジャン・ギョクニルです。就学前の子どもたちに向けて絵本を書いています。彼女の作品は、トルコ文学界において、最初の完成された絵本といえます。トルコ民話や、『まぬけのハサン』『キツネの鐘と夢魔の鈴』などです。地方の短いお話、それから外国に暮らす登場人物──たとえば、ニュージーランドの鳥キウイを描いた『キウイのお話』みたいに──がたくさん出てきます。
同じく1945年生まれのヤルヴァチ・ウラルは、いろいろな児童書を発表しています。彼の作品には、動物が主人公のものが多いですね。『リスの物語』『イソップの森の裁判所』などです。そして、異なる文化、民族の特徴をとらえた、世界的な雰囲気が漂っています。
1950年代に入りましょう。
1956年生まれのアイセル・ギュルメンは、作品に自分で挿絵を入れます。彼女の描く物語には、誕生日パーティーなどヨーロッパからもちこまれた習慣のシーンが多くみられます。しかし、その一方で『皇帝のマーブリング(注:水面に垂らした絵具で模様を描く)』に見られるように、トルコの伝統や英雄も多く登場します。
次のふたりは、児童文学作家ではありませんが、この世代の特徴が顕著に表れた作家です。
まず、1955年生まれのブケット・ウズネル。彼女の作品では、よりグローバルな価値観・世界観と、ゲリボルの戦い(注:第一次世界大戦中の1915年、連合軍が現トルコ領のゲリボル半島で行った上陸作戦)などのトルコの歴史が共生しています。また、現代のトルコに暮らすさまざまな民族の、異なる文化的・経済的基盤から例をとり、鋭く表現した『イスタンブル人』をあげておきたいと思います。
1960年生まれのアフメット・ウミットは、近年、すごい勢いで人気を伸ばしています。彼の目線はグローバルなものですが、『イスタンブルの記憶』『パタサナ』『ベイオールで一番の男』など、イスタンブルやトルコに則した作品で力を発揮しています。
──では、この世代の作家のひとりとしてみたとき、ご自身の作品の特徴はどのようなものですか?
S・U 私の作品には、子ども時代に読んだり、ラジオの朗読で聞いたりした、エフラトゥン・ジェム・ギュネイのトルコ民話や、翻訳されたヨーロッパの作品の影響が強いと思います。トルコという土地の伝統文化を映しだす伝説を集めた『アナトリアぐるりAからZ』では、トルコの民話からインスピレーションを得ました。一方で、他の国々とトルコの登場人物が入り混じっていますが、私はより広い視野に立って、彼らが同じ“人間”としての特徴をもっているのだ、ということを表現してきたつもりです。ですから、やはり子ども時代に読んだ翻訳作品の影響というのは大きいのですね。たとえば『夜明けの蝋燭』というヤングアダルト向けの作品では、オーストラリアの少女と、ゼイネップというトルコの少女を非常に似通った存在として描きました。彼女たちは、この世界に暮らすひとりの少女として同じ感情を共有し、同じことを考えることができるのです。
──ありがとうございました。次回は、セルピルさんの世代にも影響をあたえた、翻訳作品とトルコ作品の関係についておうかがいします。
Serpil URAL(セルピル・ウラル)
1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。
©Serpil URAL