大戦の少し前、わたしが田舎中学の2年に進んだ最初の日、体格のいい生徒が教室へ入ってきて、わたしの隣に座った。
「こんちは。俺、Nっていうんだ。柔道部に力を入れすぎて留年さ。よろしくたのむぜ」
この猛者は続けて「俺はね、文法なんか苦手だが、国語教科書のどの作品がおもしれえかはすぐ判るんだ。教えてやろうか」という。
「ためになる」教養系の本の影響下にあったわたしは、読書の対象として「おもしれえ」作品という捉え方があることをこのときはじめて知り、ショックを受けた。彼がどんな作品をあげたか、細かい記憶はないけれども、「おもしろくねえ」ほうでは『徒然草』などが槍玉にあがっていた。
「おもしれえ」例は、馬琴『八犬伝』の一節とか、芥川龍之介『龍』、『トロッコ』など。まとめていえば、ストーリーは明快だが展開に起伏があり、人情の表裏に眼を配った作品とでもいうべきか。Nのいい分は乱暴のようだが、人を納得させるものだと、わたしは直感した。
以下、当時の教科書に採用されていたかどうか確言できないが、Nのふるい分けに合格したとわたしが信じている作品として、森鷗外『阿部一族』をあげてみたい。
封建時代の殉死の重苦しい話だが、鷗外は淡々と筆をすすめて、この一族の悲劇を後世に伝える。主君の死後、殉死がどこまで認容されるかは微妙だ。悩んだ当主の殉死以後、一族は不幸に追い込まれ、朋輩の襲撃を受ける。老武士が少年の手で傷を負わされる、うろつく臆病者もいるといった展開に加えて、塀に光る蜘蛛の糸や飛び込んできたツバメの点景も挿入され、臨場感が高められる──。
「おもしれえ」作品だと、いまも感服させられる。
●高田誠二(たかだ・せいじ)
鉄道技師だった父の影響であろう、Nに逢うまでは理科雑誌や「少国民文庫」を手元に置いていた。仕事の上では、計測・物理学史・近代日本史の文献を乱読した。北海道大学名誉教授。
■わたしがくりかえし読む本
『彼岸過迄』
さほど広く読まれてはいないようだが、連作形式の試み、推理小説的な要素などに深い興味を覚える。
●ここに出てくる本
『阿部一族』
●森鴎外/作
●岩波文庫
『彼岸過迄』
● 夏目漱石/ 作
●新潮文庫