Sola Presents


近藤 勇(新撰組)


「今宵の虎鉄は、血に飢えてるわ」
──新選組よ、いずこへ

「今宵の虎鉄は、血に飢えてるわ」
江戸時代、幕末に生きた新選組局長、近藤勇の決め台詞である。「虎鉄」は刀の銘で、名刀といわれていた。といっても、実際に近藤が人を切るたびにこの台詞をいったという事実は不明。ただ、講談などで語られたのが有名になった。
この台詞を、私は子どものころから知っていた。どうして知ったのかは、いくら考えてもはっきりしないが、多分に映画からだという気がする。記憶をひもとけば、小学生のときによく東映時代劇映画を観にいった。大仏次郎原作の『鞍馬天狗』は大好きだった。覆面をつけた勤皇志士が白馬に乗って駆けつけてくる場面は、観客が拍手喝さいをしたものだった。
鞍馬天狗は主人公だから当然正義の味方で、新選組は悪役。その代表が近藤勇だが、原作ではそう悪役に描かれてはいない。だが、幕末が舞台の映画では、新選組は極悪非道の侍集団として、京の都を荒らしまわっていた。
新選組は関東出身の者が多く、近藤は武蔵の国(現在の東京都調布市あたり)の農家の三男として生まれ、15歳で天然理心流近藤周助の道場に入門。やがて近藤家の養子となって、天然理心流を継いだ。29歳のときに14代将軍家茂の上洛を警護する浪士隊に入り、同じ門下の土方歳三や沖田総司たちと京へ。浪士隊は200名を超えたという。その後、新選組と名前を変え、勤皇志士たちの取り締まりを強化していく。
やがて、新選組隊士全員は幕府の家臣となり、近藤は旗本に出世するが、幕府は大政奉還をして、徳川の世は終わった。江戸にもどった近藤は、新政府軍と戦うが捕えられて刑場で斬首。首は一里塚にさらされたあと塩漬けにされ、京都に運ばれて三条河原にさらされた。近藤勇35歳であった。
映画や芝居でも、近藤を演じる俳優はいかにも凶暴な顔立ちをしていたし、ほかの隊士たちもまるで無頼の徒のごとくふるまっていた。
実際、維新前夜の京都では、勤王の士と新選組が各所で衝突をくり返していた。
子母澤寛が『新撰組始末記』を発表したのは、1928(昭和3)年。この作品はノンフィクションとして高い評価を受け、のちの作家たちが新選組を描くときの底本になったという。
子母澤は、この本のあとがきで「新選組は歴史の上から見れば、時世の渦の中に巻き込まれた、自分にはどうにも出来ない庶民的な一つの流れに過ぎない」と述べている。
あらためて同書を読んでみたが、処刑された近藤勇の死体を引き取りにいった身内の証言は生々しく、心が痛む。
新時代をつくったのは薩摩藩や長州藩を中心とする勤皇派だったから、勝者である新政府は正義で、敗者である新選組は悪となる構図ができあがる。「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。明治時代になってから、天皇に敵対した徳川幕府のために働いた新選組は悪役となり、忘れられていったようだ。
子母澤寛は、当時まだ生存していた隊士たちに取材をして作品を書いた。当時の実態が少しずつ描かれるようになった。その後、司馬遼太郎『燃えよ剣』などによって幕末という時代がリアルに描かれるようになると、新選組も無頼の徒ではなくなる。時代に翻弄された滅びゆくヒーローとして現代によみがえり、ファンが多い。
勤皇志士が正義で新選組は悪だと信じて疑わなかった子どものころ、三橋美智也「ああ新撰組」がヒットした。行き場を失った敗者たちへの共感がこめられた歌は、いまでもおぼえている。
今年(2013年)は、新選組が結成されて150年目にあたる。(本木洋子)



近藤 勇


●悪行・罪状
騒乱罪・反逆罪・隊規違反罪・建造物損壊罪・敵前逃亡罪・機密漏えい罪・殺人罪・放火罪・住居侵入罪


●職業
非正規雇用警察官


●国籍
日本


●年齢
享年35歳


●出身地
東京都調布市


●性別


●決め台詞
「今宵の虎鉄は、血に飢えてるわ」


●知力・凶暴性・生い立ち
天然理心流免許皆伝
渋沢栄一の著書に「近藤は条理の分っている人物で、薩州人に対する例外を除いては、決して無鉄砲に乱暴を働く様な男ではなかった」とある


●末路
京都の三条河原で斬首、さらし首