企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第2回


──最初の作品について教えてください。その作業中、ハジェッテペ大学の先生方とは、どんなことをお話しされたのですか?

セルピル・ウラル(以下、S・U) 私の最初の作品『まんまるうさぎ』は、2歳半から3歳くらいの子どもたちに向けて書いたものです。作品にとりかかったのは1978年ですが、その2年前、友人の子をあやしているときに、このお話を思いついて、話して聞かせたんです。そうしたら、そのお話がとても気に入ったようで、何回も繰り返しせがまれました。そこで、きっとほかの子どもたちも楽しんでくれるはず、そう思ってお話に絵をつけることにしました。
絵が完成してから、ハジェッテペ大学の先生方にお見せしました。そうしたら、」子どもたちの『びっくり』を引き出すようないいまわしをするといい」というアドバイスをいただきました。たとえば、「まんまるうさぎは、めのまえにカメがいるのにきがつきました」ではなくて、「まんまるうさぎの、めのまえのいしが、きゅうにうごきました。いしではありませんでした。カメだったのです」という具合です。

──ミュンヘンでの研修以降、作品を生み出す過程で何か変化はありましたか?

S・U ミュンヘン以降でも、私の作風というものに大きな変化はありませんでした。しかし、子どもたちのための作品にどれほど多くの題材があるのか、ということを学びました。ですからその後、作品の題材を選ぶことに自信をもちましたし、トルコの児童文学にたりない部分を研究する足がかりともなりました。
最初の作品も、出版社を見つけるのがむずかしかったので、ミュンヘンで学んだことを生かして、書き直しました。
最初の絵は、色紙を切ったコラージュの手法で描きました。各ページの最初の文字の色も変えていたので、非常にカラフルな作品だったのです。ですから、出版社を見つけるのがむずかしかった。当時のトルコの印刷技術は今日ほどの質ではなかったのです。多色刷りは非常に高価でしたので、どの出版社も私の作品に手を出すのに、二の足を踏む状態でした。
それでも最終的には、ある出版社が、私に絵を描き直すようにいいました。彩色は出版社のほうでできる限りのことを──そして、できるだけ安価に──して仕上げて出版してくれたのです。当初のとおりにはいきませんでしたが、きれいな多色刷りの本になった、というわけです。
『まんまるうさぎ』の次の作品『アリ、しずかにして』では、最初から色をひかえました。使ったのは赤と黒だけ。コラージュの手法も使いませんでした。
絵本の場合は、私は基本的に先に文章を書きます。それを何回も読んで、短くしていきます。子どもたちが飽きてしまわないように。文章ができあがると、場面ごとにわけます。そして最後に絵を描くのです。

──最初の文章作品について教えてください。なぜ、絵のない作品に挑もうと思われたのですか?

S・U 最初の物語作品は、戦争を主題としたヤングアダルト向けの作品でした。『夜明けの蝋燭』です。ヤングアダルト層は絵本には関心は示さないので、彼らのためにも興味ある作品を書きたいと思って……。挿絵は入れませんでしたが、実際の戦争に関わる白黒の写真を載せました。主題も現実からとりましたし、彼らの興味を引ける作品だと思います。

──物語作品を拝見すると、近・現代トルコ史の実在の人物を題材としたものが多いようです。なぜでしょうか? また、伝記ものを書く際にとくに注意していらっしゃることはありますか?

S・U 私は、伝記というジャンルは非常に重要なものだと考えています。なんらかの業績を残した人、歴史に名を刻んだ人というのは、必ず子どもたちにひとつの道を示してくれるからです。そして何より重要なことは、そういった「偉人」と呼ばれる人たちも、ひとりの“ふつうの子ども”として人生をはじめたのだということ。つまり、「どの子にも拓くことのできる道がある」ということですね。私の作品を読んだ子どもたちがそう感じて、少しでも自信をつけてくれたらいいと思っています。
伝記を書くうえで常に気をつけていることは、「現実を描く」ということです。そのために、まず彼らについての資料を研究し、彼らを知っている人を探して話を聞きます。
『アナトリアのアリ』を書いたときには、主人公のヨリュク・アリ・エフェ氏(筆者注:1985~1951。アナトリアの西部と南部でのトルコ独立戦争の火ぶたを切った戦士のひとり)の、お子さんやお孫さんにお会いして取材をしました。
もし、ご本人がご存命なら、おうかがいしてお話を聞きます。サビハ・ギョクチェン氏(筆者注:1913~2001。トルコの女性飛行士。世界初の女性戦闘機パイロット。トルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルクの8番目の養子でもある)にお会いしました。こうして、起きたことを起きたとおりに書くことにしています。ただ、会話の部分などでは想像力を駆使していますけれど。

──作品のなかから『アナトリアぐるりAからZ』は、外国語に翻訳されました。なぜ選ばれたのですか?

S・U トルコと、トルコに生きている人たち。そこに息づく信仰や伝説が描かれているからだと思います。

──この作品のきっかけはなんでしたか? また、AからZのアルファベットに合わせた伝説や物語が書かれていますが、すべてのアルファベットに当てはまる主題を探すのは、たいへんではありませんでしたか?


S・U 友人の家で、アフリカ──ひょっとしたら、アフリカ大陸のどこかの国だったかもしれません。思い出せないのですが……──に暮らすさまざまな部族について、アルファベット順に解説した挿絵つきの本を読みました。たしか、本の題は『アシャンティ族からズールー族まで(From Ashanti To Zulu)』だったと思います。それを読んだときに、「こういうアルファベット順の本をいつかつくろう」と思ったんです。伝説はいつも人の心をひきつけますし、そこに暮らす人びとの信じてきたこと、生活を映し出します。ですから、伝説をアルファベット順に並べた作品にしようと決めました。

ええ、アルファベット順に伝説を集めるのは、けっしてかんたんではありませんでした。完成までに4年がかかりました。文化省の図書室が非常に役立ちました。何週間も図書室にこもって資料を集めました。もちろんほかの場所でも。長いことかかりましたが、結果、いい作品ができたと思っています。

──絵本と文章作品、作業の注意点というのは、それぞれ異なるものですか?

S・U そのとおりです。絵本を書くときには、より想像力に重きをおきます。文章作品の場合は、現実的であることを心がけています。

──海外の子どもたちのためにも、作品を発表されたそうですね。どのような作品を、なぜ発表されたのですか?

S・U 2012年が、トルコとオランダの文化交流400年の年でした。その記念に、オランダに暮らすトルコ人の子どもたちとオランダ人の子どもたちのために、特別な作品を贈りたいと思ったのです。オランダのシンボルのひとつチューリップが、16世紀にオスマン帝国からどのようにヨーロッパに広まったのかを、『チューリップの旅』という作品で歴史解説風に絵本にしました。
本は2か国語で出版されました。つまり、すべてのページにトルコ語とオランダ語が並んでいるのです。プロジェクトにはトルコ外務省も協力してくれましたので、この作品はトルコとオランダのさまざまな会場──ブックフェアーとか、サイン会とか──で、子どもたちに無料で贈られました。

──さらに海外での活動として、アメリカでの児童文学研究会に講演者や研究者として参加されていますね。

S・U 2003年、アメリカのウィスコンシン大学で国際アウトリーチコンソーシアムが主催した研究会で45分間の講演をおこないました。私の作品について話してほしいとの依頼をいただいたのです。
それ以外にも、私はアメリカに行くと必ず、それがどこの都市であっても、児童出版社を訪問しトルコの児童書の現状と自分自身の作品について小さな講演会をやらせてもらうことにしています。1989年には3か月、アメリカの各地を巡って講演会をおこないました。
国際児童書会議に出席すると、各国の児童書の作家たちと、世界中の最新の児童書事情や高名な作家たちの作品について話し合います。世界的な児童書の現状を把握しておくことに努めています。

──IBBYでの役割について教えてください。

S・U IBBYのトルコ支部を立ちあげたメンバーのひとりです。トルコでの公的な児童文学団体の立ちあげ運動を1980年に始めました。官僚的な障壁はありましたが、1994年に実現しました。2年ほどは、運営委員会を務めていました。
IBBYトルコ支部のさまざまな会議に講演者として参加し、私が伝えられる情報は伝えてきました。たとえば、海外の会議で得た情報を話すですとか……。トルコから国際的な会議へ提出するにふさわしい作品を選出する委員会を務めたこともあります。支部主催のパネルディスカッションや、スペイン、スイス、マカオなどのIBBYの国際会議では、講演者としてお話もさせていただいています。

──では最後に、もしいま現在、手がけていらっしゃる作品があれば、可能な範囲で教えていただけますか。

S・U 最近作業が終わった作品の題材は、母国を捨てなければならなかったある難民の家族についてのものです。また、小さな子どもたちのために、トロイア戦争といまのトルコのチャナッカレに残るトロイアの遺跡についてのシリーズがあります。出版社と交渉中なんです。それが終わったら今度は何を書こうかしらと考えているところです。

──ありがとうございました。次回からは、トルコの児童文学界についてお話をうかがってまいります。

 
 
 
 



Serpil URAL(セルピル・ウラル)
 
1945年、トルコのイズミル生まれ。イスタンブルのウスキュダル・アメリカン高校、アメリカのブラッドフォード・ジュニア・カレッジ、イスタンブルの公立芸術学院(現在のマルマラ大学芸術学部)を修了。広告会社でコピーライター兼グラフィックデザイナーとして活動する。1978年から児童書に携わり、1980年にはミュンヘン国際児童図書館で長期の研修を受ける。1986年、第5回野間国際絵本原画コンクールで佳作を受賞。トルコ国内でも1997年にルファット・ウルガズ笑い話文学賞、トルコ・イシ銀行児童文学大賞を受賞。IBBY会員。
ウィスコンシン州国際アウトリーチコンソーシアムでの児童文学講演会で2003年の講演演者を務めるなど、国際的にも広く活動している。
 


©Serpil URAL