企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第17回 最終回 

暑寒別岳(しょかんべつだけ)に向かって

 なぁーんまーんだぁーぶ
 なまんだぁーぶ
 なぁーんまーんだぁーぶ
 
 8月22日、午前9時。
 周平の父さん、釈隆生(しゃくりゅうせい)さんが、両手で数珠(じゅず)をすり合わせる。
 
 チーン
 チーン
 
 となりで、周平が棒の上に乗ったおリンを鳴らす。
 
 ぶぅせぇーつ あぁみぃーだ きょおぉーう
 
 お経が、海に向かってまっすぐに流れていく。
 
 浩太は、サッカーで球拾いをしていた時、周平がぼやいていたのを思い出した。
「ほんと、いいかげんなんだ」
 お坊さんになる時、得度式(とくどしき)というのがあるらしい。その時、お釈迦様の弟子になりましたっていう意味で、お坊さんとしての名前をもらうそうだ。
「本名の上に、釈(しゃく)っていう字をつけるんだ」
 周平は、グラウンドに棒で字を書いた。
「うちのおやじは隆生(たかお)だから、上につけると釈隆生、音読みで「しゃくりゅうせい」。いいだろ? おれなんか、どうすんのよ? 釈周平(しゃくしゅうへい)。間がぬけてるだろ? なんで、もっとちゃんと考えてつけないんだよ。たまたま藤沢周平の小説にはまってたって、わけわかんないよ。自分は寺を継(つ)ぐのがいやだったから息子は自由にしていい、っていう気持ちもあったらしいけど。おやじはそうかもしれないよ、でも、おれはお経読むの好きなんだ」
 周平は、口をとがらせた。
〈親子って……、うまくいかないもんだな〉
 浩太は、思った。
 その二人が、海に向かって並んでる。
 隆生(りゅうせい)さんは白い着物に茶色い透けた衣をはおり、肩から丸い模様の並んだ緑色の布を下げている。袈裟(けさ)っていうらしいが、周平は水色の着物に黄色い袈裟をつけていた。
「おおうっ」
「お前、なんだよ、それ」
「かっこいいな」
 おリンを持って周平が浜にあらわれた時、浩太、悠人、敦也の3人は大騒ぎだった。
 場所は、茂三おじいさんが海に向かってひざまづいていた丹野さんの家の前浜。
 集まったのは、枝里子先生、角バン、沢井コーチと奥さん、香莉、大志と父さん母さん、丹野茂治さん、照子さん。悠人のじっちゃん、滝下のばばちゃんまでいる。どうやら、悠人のじっちゃんが軽トラで迎えに行ったらしい。
「おれたちだけでこっそり」のつもりが、浜にはクラスのほとんどの子どもと親が集まっていた。どこから、情報がもれたんだ?
〈父さんと、母さんもいる……〉
 保護者説明会の夜、浩太は母さんにおばあちゃんが見たという三泊(さんどまり)の死体についてたしかめた。
 母さんは、
「ごめんね。じつは、母さんもおばあちゃんから話だけは聞いてたんだけど、それがなぜかってことはよく知らなかったの。でも、子どもの時から『ひっぱられる』とはいわれていて、お盆過ぎたら海に近寄ってはいけないってことはわかってた。きっと、あんまりむごくて悲惨な話だから、話すほうも聞くほうも辛くて、いつのまにかタブーのようになって、『ひっぱられる』っていう言葉だけが残ってきたんだろうねぇ。でも、それじゃあいけないってことが、浩太のおかげでわかったよ」
 と、言った。
〈それにしても、郵便局がいくら土曜休みでも父さんまで来るとは思わなかった……〉 
 浩太は、なんだか居心地の悪い思いでお経を聞いていた。
 
 こんごぉーるーりー はーりーごーじょぉー
 
 隆生(りゅうせい)さんと周平の前には、長机が置いてある。
「茂三じいさんが、作業小屋で使っていたものだけど」と言って、茂治さんが貸してくれたものだ。
 机には白い布がかけられ、その上にいろんなものが乗っている。
 滝下のばばちゃんが庭で育てた菊、酒田(さかでん)のお酒。悠人のじっちゃんの店の野菜、そして、たくさんの果物やお菓子。大きなお皿には、山のようなおにぎりが積みあげられていた。照子さんが、お腹をすかして海に沈んだ子どもたちのためにと握ってくれたものだ。
 そして、中央には浩太が拾いあつめた貝の箱が並べられている。
 浩太は、貝をながめているうちにその一つ一つが海に沈んだ人たちに思えていた。砂つぶほどの小さなホタテ貝は、生まれたばかりの赤ちゃんに見えた。こんな小さな赤ちゃんまで死ななければならなかったんだと思ったら、この貝たちにどうしてもお経をあげてもらいたくなった。
 周平に相談すると、
「よしっ、慰霊祭におそなえしよう。そのあとはおれが寺に持って帰って、毎月22日にはお経をあげてやるよ」
 と、言ってくれた。
「おれ、得度(とくど)したら、おやじの一字をもらうんだ。釈周生(しゃくしゅうせい)、どうだ、いいだろ?」
 周平は、もう立派な寺のあと取りだった。
 この前の夜、ベランダで月の光にぼうっと光っていた貝は、今日は箱の中で明るい陽の光をためている。
〈もし、この人たちが生きていたら、何になっていただろう?〉
 きっとみんな、なりたいものがあったはずだ。
 目の前の、周平を見る。
 周平は、坊さん。敦也は、政治家。悠人は、父さんを手伝ってじっちゃんの店を継いでいくだろう。おれ……、大きくなったら何になろう?
 浩太には、海霧(ガス)がかかった海みたいに自分の未来が見えなかった。
 
 おーう じょーう あーん らっーこーぉぉー
 チーン チーン チーン
 
 長いお経が、終わった。
 みんなは、思い思いにお焼香をした。
 子どもたちは、泰東丸が沈んだ鬼鹿(おにしか)の海に少しでも近づこうと、しべ川の河口に移動をはじめた。丹野さんの家を借りて、速攻で着替えをすませた周平も一緒だ。
 母さんたちは残って、長机に並んだお菓子や果物、おにぎりをみんなに分けるために作業をはじめた。父さんたちも、机の片づけのために残った。
 子どもたちにつきそったのは、枝里子先生、角バン、沢井コーチ、大志の父さん。角バンは、こんな時までいつもの赤ジャージだ。
 砂浜を歩いて、みんながしべ川の河口にたどり着くころ、
「あれ?」
「あれ?」
 女子が、後ろをふりかえって騒ぎはじめた。
 なにかと思って目線を追うと、遠くから2つの人影がこっちに向かって近づいてくるところだった。
 2人は、なんだかものすごいいきおいで砂をこいでくる。
〈なんだろう?〉
 と思って見ていると、横からだれかがさっと駆けだした。
 そのだれかは、砂の上とは思えない軽やかさでカモシカみたいに駆けていく。 
 すらりとした背中、二つに結んだ髪……。
 香莉だった。
 浩太、悠人、敦也、周平の4人は、その時、香莉が女で本当に良かったと思った。もし香莉が男で、サッカー少年団に入っていたら、浩太と周平のレギュラーはさらに遠のき、もしかしたら悠人のフォワードだって危なかったかもしれない。
「はあ……」
 4人のため息をよそに、あっという間に人影にたどり着いた香莉は、そのままのいきおいで人影にとびついた。
 一人は、礼奈だった。
 もう一人は、礼奈の母さん。
 つられて走っていた女子たちが、いっせいに香莉と礼奈を取りかこむ。
 浩太は、あきれた。
 いつもあんなにもめてるくせに、いざとなるとさっさとまとまる。
〈女って、こわい……〉
 礼奈は、香莉と女子の防波堤に守られるようにしてみんなのところへやって来た。柔らかいくせ毛は潮風でからまり、もとからやせていたのに、礼奈はもっとやせたように見える。
 母さんが、枝里子先生に頭をさげた。
「先生、本当に、うちの父さんが……」
 そのあとは、言葉にならなかった。
「よく、来てくださいました。ありがとうございます」
 枝里子先生が、母さんの手をとる。
 涙をこらえ、母さんはとぎれとぎれに言った。
「はずかしくて学校に行けないって、ずっと泣いていたんだけど……、今日はどうしても行かなきゃならないって、あの子……、ずいぶんかかって……」
 枝里子先生の目から、つーっと涙がこぼれた。
 
「黙祷(もくとう)っ」
 9時55分。
 角バンこと角田先生のかけ声で、みんなはいっせいに鬼鹿の海に向かって目をつむった。
 真っ二つに折れ、ぐるぐると渦を巻きながら沈んでいった泰東丸(たいとうまる)。
「助けてー、助けてー」
 機関室に閉じ込められ、泣きさけびながら必死でドアを叩く子どもたち。
 これまで聞いた話が、はっきりとした映像となって浩太の頭の中を駆けめぐる。
 浩太は、胸の前で合わせた手をぎゅっと握りしめた。
 
 目をあけると、鬼鹿の海の向こうに天売・焼尻(てうり・やぎしり)の兄弟島がくっきりと姿を見せていた。
 その右に、美しい利尻富士(りしりふじ)が浮かんでる。
 
 みんなは、そろそろと丹野さんの前浜にもどりはじめた。
 香莉は礼奈と腕を組み、ぴったりくっついて離れない。
 その周りを、女子がにぎやかに笑いながら歩く。
 青白かった礼奈の頬に、ほんのりピンク色がさしていた。
 枝里子先生と母さんが続く。そして沢井コーチと角バン、大志と酒田(さかでん)さん。大志は浜に来てから、ずっとセットみたいに父さんの横にいる。
〈あいつも、たぶん酒屋を継ぐな……〉
 浩太は、そこまで父さんを好きな大志をちょっとうらやましいと思った。
 悠人と周平が、香莉を指してこそこそ言ってる。
「あれ、ほんとに鉄の女か?」
「前から、あんなキャラだっけ?」
「やめろよ」
 横で、敦也が笑う。
 うしろを歩いていた浩太が、はっとして立ちどまった。
 声が、したのだ。
「ぼうず、頼んだぞっ」
 思わず、しべ川をふりかえる。
 頬がちぎれるほど寒い春の日に聞いた、茂三おじいさんの声だった。
 でも、しべ川にはだれもいない。
 あの日と、同じように。
 
〈おじいさん、なぜ、おれなの?〉
 
 浩太は、海に向かって問いかける。
 
 ざざーん
 ざーん
 
 海は、答えない。
 
「おーい、こうたぁー、どうしたんだぁ?」
「はやく、こいよー」 
 悠人、周平、敦也の声がする。
 ふりかえると、3人の向こうに暑寒別岳(しょかんべつだけ)がゆったりと青い稜線を見せていた。
 浩太は、胸の中でつぶやいた。
〈わかったよ、おじいさん。おれ、大人になって何になるかわからないけど、三つの船と茂三おじいさんのことは、けっして忘れないよ〉
 浩太はくるりとくびすを返すと、暑寒別岳(しょかんべつだけ)に向かって駆けだした。
 目の先を、枝里子先生と女子たちが歩いていく。
 浩太は、頭のすみでちらりと思った。
〈枝里子先生みたいな先生になったら……、三つの船のこと、伝えていけるかな……?〉
 しべ川から吹いてくるやわらかい風が、浩太の背中を押していた。
 

〈おわり〉

 
 
 
 

鬼鹿沖、水平線に浮かぶ天売・焼尻の兄弟島
撮影:北川浩一
 
 
兄弟島の右 利尻富士
撮影:北川浩一
 
 
青い稜線 暑寒別岳
撮影:北川浩一
 

●著者紹介


有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。