企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第14回 

光る貝

 そのあと沢井コーチは、悲惨な話をなるべく避けるように事実だけを淡々と説明した。
 8月22日、最初に小平沖を通ったのは小笠原丸。
 小笠原丸は、午前4時22分増毛町別苅(ましけちょうべつかり)沖で魚雷を受け沈没した。
 次に通ったのが、第二新興丸、
 第二新興丸は4時55分頃焼尻島(やぎしりとう)沖で魚雷を受け、大破しながら積んでいた大砲で応戦し沈没をまぬがれた。
 でも、第二船倉に大きな穴を開けられ、半分水に浸かり傾きながら岸寄りに留萌に向かって南下した。岸に寄ったのは、潜水艦の攻撃をかわすためだ。
 茂治さんが言っていた赤ちゃんを抱いた女の人が出てきたのは、この第二船倉からだ。滝下のばばちゃんが朝の5時くらいに天売・焼尻(てうり・やぎしり)の兄弟島の方から聞こえたという大きな音と、7時くらいになって見た岸に近づいてくるでっかい船は第二新興丸だったのだ。
 海の上にたち込めていた海霧(ガス)が晴れていくみたいに、話がどんどんつながっていく。
 浩太は、目の前の海を通過する船の姿がはっきりと見えるような気がした。
 
 最後に鬼鹿(おにしか)沖を通っていた泰東丸の後ろに、クジラのような真っ黒いソ連の潜水艦が浮上したのは9時40分。
 ハッチが開いて、ソ連兵がばらばらと飛び出し大砲に取りついた。
 
 ドーン
 ドーン
 ドーン
 
 泰東丸の船の先に、水柱(みずばしら)が上がる。
 
 1本、2本、3本。
 
 泰東丸は、物資の輸送をする貨物船だ。武器は、積んでいない。
 しかも、戦争は1週間前に終わっている。乗っているのは、女、子ども、老人の引き揚げ者ばかり。
 何かの、間違いだと思った。
 無抵抗の船を、攻撃してくるはずがない。
 この砲撃も、威嚇射撃なのだ。
 船長は、抵抗の意思がないことを示すためにエンジンを停止した。
 船員たちは、食堂の白いテーブルクロスやシーツを持ち出して必死に振った。
 潜水艦は、針路をふさぐように泰東丸の正面に回り込んだ。
 
 そして、砲はふたたび火を吹いた。
 
 船倉に満載された米のために、人々はほぼ全員甲板にいた。
 逃げ場のない甲板は、一瞬で血の海だった。
 悲鳴をあげて逃げまどう女や子ども、老人に、ソ連の兵士は笑いながら機銃掃射を浴びせたという。
 それまで、慎重に言葉を選んでいた沢井コーチの口調が変わった。
「小学校五年生だった村上久枝さんのお母さんは、脇腹に破片を受け目の前で声も上げずに亡くなったそうだ。血だらけの甲板の上には、もがれた人の手や胴体がいくつも転がっていたという」
 何人かの生徒が、ため息をついてうつむく。
「もっと悲惨な話が、いくつもあるが……」
 おでこに一本白い線を残した沢井コーチの日焼けした顔に、苦しそうな表情が浮かぶ。
 いくら避けようと注意していても、伝えるには語らなければいけない。これが戦争なのだと、浩太は思った。
 沢井コーチは、自分をふるい立たせるように続けた。
 機関室の方から、「ドン、ドン」と音がする。
 前の夜に降った雨でびしょ濡れになった体を服ごと乾かそうと機関室にいて、閉じ込められた子どもたちだった。
「助けてー、助けてーっ、ぼくたち、ここにいる。誰か、開けてーっ」
 子どもたちは泣きながら叫ぶが、誰も助けに行くことはできなかった。
 大きく傾いた甲板から、ほうきで掃かれたように人がばらばらとこぼれ落ちていく。
「船が沈むぞー! みんな、早く逃げろーっ」
 機銃掃射を避けるために毛布をかぶって伏せていた鎌田翠(かまだみどり)さんは、その声で顔を上げた。見ると船は、ひっくり返るように横になろうとしていた。翠さんは、11歳、9歳、5歳、3歳の子どもと手をつないだ。
「いっしょに、死ねるね」
 母子は、ずるずると甲板をすべり落ちた。
 海中深く沈み込み、頭上にびっしり漂う浮遊物をかき分け海面に顔を出したら、4人の子どもたちが次々に浮き上がってきた。みんなで、近くにあった1枚の板にすがりついた。でも、子どもたちには力がない。波が来るたびに1人、また1人と波にさらわれていく。目の前で海に中の消えていく子どもを見ながら、翠さんにはどうすることもできなかった。
 川島喜恵(かわしまきえ)さんは、周りでばたばたと倒れていく人たちを見てもう助からないと死を覚悟した。
「どうせ死ぬなら家族いっしょに」と思い、7人の子どもを帯で縛りつけた。でも、「1人でも助かれば……」と思い直して帯をほどく。
 結局大きい子が小さな子を抱いて、みんなで傾いた甲板から海に落ちた。落ちる瞬間、14歳の長男満夫が叫んだ。
「母さん、やられた!」
 喜恵さんは、その声を聞きながらそのまま海の底にひきずり込まれた。やっとの思いで浮かびあがっても、真っ二つに折れて沈もうとする船の渦に巻き込まれまたひきずり込まれる。何度かそれをくり返しながらようやく海面に顔を出すと、すぐそばで満夫が浮遊物につかまっていた。満夫の頭からは、ジュンジュンと血が噴き出している。
「満夫っ」
 声をかける間もなく、満夫は吸い込まれるようにすーっと海の中へ沈んでいった。
 助かったのは、喜恵さんと次女の孝子だけ。
 喜恵さんは、いっしょにいた母と6人の子どもを失った。
「こんなに子どもを死なせてしまって、私はもう生きていけない」
 毎日、死ぬことばかり考えていたという。
 その時、喜恵さんのお腹の中には子どもがいた。
 でも、長時間海に浸かったせいか、お腹の子は三日経ってもぴくりとも動かない。
 もしこの子がこのままお腹の中で腐ってしまったら、今度こそ私もいっしょに死ななければならない。喜恵さんは、思った。
 でも、4日目を過ぎた頃、子どもがぴくぴくと動き出した。
「ああ、生きていたんだ……。やっぱり、私はまだ死ぬわけにはいかない」
 お腹の子のいのちが、喜恵さんのいのちを救った。
 
 沢井コーチの話は、わかりやすかった。
 まるで、目の前でその光景がくり広げられているようだった。
 泰東丸で亡くなった人は667人、生存者は113人。
 浩太は、海の方から助けを求める声が聞こえてくるような気がした。
 
 授業の終わりで、コーチは質問を受けつけた。
 大志(たいし)が、
「なぜすぐに、助けに行かなかったんですか?」
 例の質問をした。
「うーん、そうだな。そう思うよねえ。でもね……」
「増毛(ましけ)の方では、すぐに救助の船を出したんでしょ?」
 悠人が、言う。
「ほう、杉原くん、それ、誰に聞いたの?」
 沢井コーチが、聞く。
「丹野さんのおじさんだよ」
「丹野さんって、うちの近くの丹野さんかい?」
「はい」
 コーチであることを思い出したのか、悠人が突然敬語になる。
「丹野さんのお父さんは茂三さんといって、自力で泰東丸の沈没場所を突き止めた立派な人だったんだよ」
「はい、知ってます」
 悠人が、また敬語で答える。
「4年生は、よく勉強しているね」
 沢井コーチが、うれしそうに枝里子先生を見る。
 枝里子先生は、にっこり笑ってうなづいた。
「あのね、増毛と小平(おびら)が違うのは、こういうことなんだよ」
 沢井コーチは、ひどく真剣な顔になって説明をはじめた。
 増毛町別苅(ましけちょうべつかり)の浜は、夜明け前にものすごい轟音(ごうおん)で叩き起こされた。男たちはほとんど戦争にとられているから残っているのは女と子どもと老人ばかり。海で何かあったのだということは、わかった。でも、何が起こったのはわからなかった。8時か9時くらいになって、それまで海霧(ガス)のかかっていた海から、たくさんの人の乗ったボートが岸に流れ着いた。
 そのボートは万が一にそなえ、一つだけ船をつなぐ係留索(けいりゅうさく)から外され、小笠原丸のデッキに置かれていたものだ。ボートは、漂流している人たちを50人ほどすくい上げようやく岸にたどり着いた。
 寒さのために歯の根が合わす、よく回らない口で漂流者は訴えた。
「沖にはまだ、漂流している人たちがいる。どうか、助けに行ってやってくれ」
 漁民たちは何とかしなければと思ったが、出て行けば自分たちも潜水艦の標的になる。
 迷っている漁民に、漂流者たちはこう告げた。
「潜水艦は、もう離れてどこかへ行ってしまった」
 増毛の浜からは、すぐに二隻の漁船が出た。
 救助できたのは、13人。
 その後駐在所から地元の漁船45隻全船に出動命令が下り、小手繰り船(こてぐりせん)と呼ばれる小さな船が銃弾よけの畳などを立てて海へ出たが、発見したのは遺体ばかりで生存者は一人もいなかった。
 その日上がった遺体は、29体。小笠原丸の生存者は62人、残り641人はすべて死亡した。
「この救命ボートが、小平には流れつかなかったんだ」
 泰東丸からも、たしかにボートは出た。でも、なぜか目の前の小平に助けを求めずに、何時間もかかって留萌の港を目指した。それがなぜなのか、今もわかっていない。だから、小平の漁民は何が起こったのかを知ることはできずに、ただ恐怖に包まれるしかなかった。
 それでも助けに行ってやらなければと、すぐに船を出そうとした人はいた。でも、いろんな事情で夕方になってしまったんだ。
 コーチの話は、続く。 
「増毛で雑貨屋をやっていた、村上高徳(むらかみたかのり)さんという人がいてねえ。小笠原丸の遺族が浜にやって来て、なに一つ遺品が残っていないもんだから、しかたなく浜の小石をハンカチに包んで持ち帰るのを気の毒に思ってね」
〈あっ、これも茂治さんの言ってた話だ〉
 浩太、周平、悠人の3人は、顔を見合わせた。
 敦也を見ると、敦也もこっちを見てうなづいている。敦也は、浩太が話して聞かせた話の内容をきちんと覚えてくれてるんだ。
「村上さんは自分の貯金をはたいて潜水夫を雇い、2年もかかって水深50メートルの海底に沈む小笠原丸から314人の遺体を引き上げて遺族に返してあげたんだよ。スタンドプレーだとか、船の部品を引き上げてお金にするんだとか陰口を言う人もいたし、町にかけ合っても何一つしてくれず村上さん一人にまかせて知らん顔だ。政府なんか、いまだにこの事件についてソ連に抗議もしていないし、調査依頼さえしていない。国が起こした戦争で犠牲になったのに、政府や軍隊なんていざとなったら国民を守らないんだ。自分たちの都合のいいように、見殺しにしてすましてる」
 浩太は、こんなに長くしゃべるコーチを見たことがなかった。
 余計なことは言わず、サッカーの練習を見守るいつものコーチと同じ人とは思えなかった。しべ川で恐竜の化石やアンモナイトを探して歩くところまではイメージ通りだ。でも、今日はまるで別人に見える。
 大志の父さんは、パソコンの前でコーチの話にじっと聞き入っている。角バンも、同じだった。コーチから、ずっと目を離さない。この3人には、やっぱり同じ空気が流れていた。
 教室にもどっても、しばらく誰もなにも言わなかった。
 別人のようだった沢井コーチの特別授業は、4年生に重い沈黙を残した。
 
 その夜、空に大きな月が上がった。
 月は一つもかけるところなく、見事にまんまるだった。
 浩太は、春に拾いあつめた貝の箱を取り出した。
 綿をしきつめた中に、色とりどりの貝が並べられている。大きいの、小さいの、赤ちゃんの手みたいな貝もある。
 浩太は、しべ川の河口で初めておじいさんに会った日に拾った、めずらしい南方の巻貝を手にとった。
〈もしかしたら、これは南の方から来た人だったのかな?〉
 浩太には、貝の一つ一つが海に沈んだ人たちに見えた。
 三船合わせて、1708人……。
 浩太は貝の箱を持って、昼間のように明るく照らされた庭に出た。
 居間に続くウッドデッキに腰かけ、貝の箱を並べる。
 月の光が、貝に触る。
 あたたかい月の光の中で、まるで自らが放つように貝はぼぉっと明るく光ってる。
 なんにも知らずに、ひろってた……。
 浩太は、光る貝の一つ一つをじっと見つめた。
 
 トゥルル ルル
 
 ちょうどおなじ頃、小平小学校の校長先生の家の電話が鳴った。
                               〈つづく〉
 

小平しべ湖 クビナガリュウ・モニュメント
撮影:北川浩一
 
 
小平ゆったりかん前に移された カモハシリュウ・モニュメント
撮影:北川浩一

●著者紹介


有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。