企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第13回 

沢井コーチの特別授業

 7月の初め、視聴覚教室で沢井コーチの特別授業が行われた。
 2組だけでなく、1組も一緒だった。
 なんで、1組も? と思ったが、どうやら話を聞いた角バンこと角田先生が、せっかくの機会だからと枝里子先生に頼みこんだらしい。
 角バンのくせに、なんだかいつも沢井コーチの周りをうろうろしてる。そんな時角バンは、生徒に見せる顔とはぜんぜん違う顔をしている。よっぽど、沢井コーチが好きなのか?
 それに、なぜか大志の父さんまで来てる。酒の田村、みんなは略して酒田(さかでん)って呼んでるけど、店はいったいどうしたんだろう? 
 沢井コーチといい、酒田(さかでん)といい、よっぽどひまなのかな? 
 大志の父さんは、慣れた手つきでパソコンの映像をスクリーンに移す準備をしている。角バンは、あちこち走り回ってマイクをセットしたり、準備室からコードをひっぱり出したりしてる。何にも言わないのに、なぜかこの三人には同じ空気が流れてる。こういうの、なんていうんだっけ? あうん? の呼吸?  沢井コーチ、角バン、酒田(さかでん)……。浩太は、不思議な感じで三人をながめてた。
 準備が終わるころ、枝里子先生が言った。
「それでは、沢井さん、田村さん、今日はお忙しい中4年生のためにわざわざお時間を作っていただき、大変ありがとうございます。わたしも、子どもたちと一緒に勉強させていただきます。どうぞ、よろしくお願いします」
 沢井コーチは普段のジャージ姿と違って、スーツにネクタイをしめている。なんか、変な感じだ。
「みなさん、今日は呼んでくれてありがとう。まさか、4年生から泰東丸(たいとうまる)のことを話してほしいと言われるとは思っていなかったので、とっても驚いたなあ。みんなは、前から関心があったの?」
 コーチが問いかけると、悠人が言った。
「ちがうよ。枝里子先生が3年生で調べた小平町(おびらちょう)のことを、何か一つのテーマにしぼってもう少し詳しく調べてみましょうって言って、それで浩太が『なんで大人は、海に行ったらひっぱられるっていうんだろう』って言って、それからみんなで調べはじめたんだ」
 沢井コーチは、悠人の説明に大きくうなづいた。
「小学校4年生で泰東丸に関心を持つなんて、すごいと思うよ。ぼくは、君たちにくらべたらずっと遅れていたなあ。小平沖を通った三つの船のことを知ったのは、じつは大人になってからなんだ。たしかに、花田の番屋の前に立っている碑は知ってた。でも、そんなことがあったのかって思うだけで深く考えていなかったんだ。それがどんなことなのかを初めて知った時、すんごく恥ずかしかったよ。何も知らずに、ただ遊んでのほほんと育ってしまったんだから。これじゃあいけない、と思った。それで何年か前から田村くんと一緒に調べ始めて、途中から角田先生にも参加してもらったんだ。前は小平にも、『泰東丸の会』っていうのがあったけど、もう解散してしまったからね」
 沢井コーチの口から「田村くん」という言葉が出た時、大志が得意満面の顔 でみんなを見回した。
「今日の主役は、沢井コーチなのに」
 周平が小声で言って、クスッと笑った。
 浩太は、大志はよっぽど父さんのことが好きなんだなと思った。いつもは皮肉の天才も、案外子どもなんだ。
 スクリーンに、北海道と樺太の地図が大きく映し出される。
「樺太はねえ、それはそれはきれいで豊かなところだったらしいよ」
 沢井コーチが、説明をはじめる。
「深い森がどこまでも続いて、質の良い石炭がたくさん採れた。豊かな森は豊かな海をつくり、ニシンやサケの漁場がふんだんに広がる。野原にはスズランや黒ユリ、ツツジ、リュウキンカ、チシマフウロなど、色あざやかな野の花が一面に咲いて島じゅう花園のようだったというな」
「へえぇ」
 みんなは、花で埋めつくされた野原を想像してため息をついた。
 コーチは胸ポケットからレーザーポインターを取り出し、樺太の地図の真ん中に引かれた線をなぞった。
「北緯50度線。みんなはまだ、習っていないかな? 1904年の日露戦争のあと結ばれたポーツマス条約で、この線から南は日本の領土、北はソ連の領土と決められていた。この北緯50度は、日本とソ連の国境線だったんだ。日ソ中立条約っていう国際法もあったからソ連は勝手にこの線を超えて侵入してこれない約束になっていた。だから、豊かな資源を求めてこの南樺太にはたくさんの日本人が暮らしていたんだ」
「ふうん」
 コーチは、みんなのほうへ向きなおって聞いた。
「太平洋戦争が、終わったのはいつか知ってるかい?」
「1945年、8月15日っ」
 大志が、すかさず言う。
「そうだね。でもソ連はね、日本の敗戦がはっきりしてきた8月9日になって突然この国境線を超えて攻め込んできたんだ」
「えっ」
「約束があったのに、なんで?」
「きったね」
 みんなは、口々に言った。
「暮らしていた人たちは、どうなったんですか?」
 敦也が、手をあげて聞いた。
敦也……、すっかりひっぱられる派になってる〉
 浩太は、なんだかおかしかった。それにしても、よく恐竜をがまんしてこっちに来てくれたな。やっぱり敦也がいると頼もしい、と浩太は思った。
 沢井コーチは、いつものように淡々と答えた。
 コーチは、普段の練習でもめったに声を張り上げたりしない。じっと見ていて、最後にここはこうしてああしてというだけだ。練習中も、時々寄ってきて、こうしたほうがいいなんてぼそっと言って離れていく。
 でも、おれたちなんだかコーチの言うことは聞いちゃうんだよな。
 なんでだろう?
 浩太は、おでこに帽子で焼け残った白い線をつけた沢井コーチの顔をじっと見た。
「当然、着の身着のままで逃げるしかなかった。男たちは残って、戦わなければならなかったから、女や子ども、老人だけで逃げるしかなかったんだ」
これ、いつか香莉が言ってた話だ〉
「汽車やトラックに乗れた人は、ごく一部。ほとんどの人は、銃弾が飛びかう中を日本への船が出る一番南の大泊(おおどまり)を目指して何日も歩き続けなければならなかった」
 コーチはまた、レーザーポインターで樺太の地図を指した。
「国境近くの村から、この大泊港まで400キロ以上あった。北海道でいうと、稚内から室蘭くらいまでかな。その距離をろくな食べものもなく、休むこともできず、夜も寝ないで歩き続けたんだ」
 コーチは、レーザーポインターで北海道の稚内から室蘭までをゆっくりとたどった。
 気の遠くなるような、距離だと思った。
「中には、病気の人やお腹の大きい人もいた。途中で、出産してしまう人もいたんだ。赤ちゃんは、泣くしょ。泣いたらソ連兵に見つかるから、みんなは生まれたばかりの赤ちゃんを連れて歩くことを許さなかった。お母さんは自分の体を引き裂かれるような思いで、赤ちゃんをその場に置いて逃げなければならなかったんだ。お母さんの着物にくるまれた赤ちゃんが、道端に何人も捨てられていたっていうな」
 その場は、しーんと静まりかえった。
「赤ちゃんは、どうなったの?」
 悠人が、聞いた。
「だんだん弱って、泣き声も小さくなって……。でも、後から来た人たちも自分が逃げるのにせいいっぱいで、赤ちゃんを抱き上げることはできなかったんだ。赤ちゃんは、そのままそこで亡くなっていった」
「うえーんっ」
 さっきから、机につっぷしてめそめそ泣いてた礼奈(れいな)がついに大声で泣き出した。
「ごめん、ごめん、新木(あらき)さん。もう、これ以上は言わないからね」
 コーチはあやまったけど、礼奈はぜんぜん泣きやまなかった。
おいおい、礼奈、まだ始まったばかりだぞ。かんべんしろよ〉
 浩太は、思った。
 おれたちは、特別授業について何度も話し合った。もしかしたら、つらい話も聞かなければならないからだ。
 枝里子先生は、
「個人差があるから、いやだと思う人は聞かなくてもいいことにしましょう」 と、言った。そして、礼奈を呼んでよく気持ちを聞いた。お母さんにも、授業の内容を伝えていた。でも、礼奈は自分から参加すると言ったんだ。
 寄り添っていた枝里子先生が、抱きかかえるようにして礼奈を立たせた。心配して見に来ていた保健の先生が、礼奈を視聴覚教室から連れ出す。みんなは、ため息まじりで礼奈の背中を見送った。
「ショックだよね。そんなことが、本当にあったのかって思うよね。新木さんには、刺激が強すぎたな。ぼくも、どこまで言おうかずいぶん迷ったけど、でも、この赤ちゃんのことはどうしても伝えたかった」
 コーチは、日焼けした顔の上の短い毛をなでた。 
「ソ連って、ひきょうだと思います」
 大志が、言った。
「そうだね」
「許せないっ」
「ほんとうだ」
 沢井コーチは、大志の言葉にいちいちうなづいた。
「だけどね、戦争っていうのはそういうものなんだ。日本だって、中国や韓国、東南アジアの人たちに同じことをしている」
「えっ?」
 大志は、驚いたようにだまり込んだ。
「知ってた?」
「いや……
 みんなは、ひそひそとささやき合った。
「これから大きくなって、みんなは日本が起こした戦争のことを学んで行くことになると思うけど、しっかり学んでほしい。日本が、何をしたのか。もし先生が教えてくれなかったら、自分で調べるんだぞ」
 コーチは、めずらしく言い渡すように言った。浩太は、一つのことを知るとまた一つ知らないことがふえるのだと思った。
それにしても……、あのお母さんは最後まで赤ちゃんを離さなかったんだな。そして、8月21日の夜に大泊から必死で第二新興丸に乗り込んだ……
 浩太は、丹野茂治さんの話を思い出していた。死体がいくつも波にさらわれていくぽっかりあいた船室からすっと出てきて、甲板に立っている奥さんに子どもを渡し、自分はまた船室にもどって行った女の人の話だ。
 22日の朝、小平の陸地が見えた時、女の人は本当にほっとしたろうな。あと少しで、安全な場所に帰れる。そう、思っただろう。なのに……
 もしかしたら、女の人はその時もう亡くなっていたのかもしれないな。
 でも、たとえ自分の命がなくなって、思いだけになっていても、その子だけはどうしても死なすわけにはいかなかったんだ……
 浩太は2階の視聴覚教室の窓から、くもり空を映して遠くにうすく光っている海を見た。
 


                             〈つづく〉

 
 

 
春の野
 
 
 
リュウキンカ
   
 
 
エンレイソウ
 
  
 
チシマフウロ
 
 
オオバナノエンレイソウ
 
 
 
ヒトリシズカ
 
 
タチツボスミレ
 
 
 
 
マイヅルソウ
 
 
 
 

●著者紹介


有島希音(ありしま きおん)
北海道増毛町生まれ。札幌市在住。執筆にいきづまると、フリッツ・ライナー&シカゴ交響楽団のベートーヴェン、シンフォニー No.5を聴く。定番中の定番といわれようとなんといわれようと、私はこれで前へすすむ。同人誌「まゆ」同人。
著書に「それでも人のつもりかな」(2018・岩崎書店)。