企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

第7回

ふたりの出会い
まぶしくも明るい光の中、腕に子ネコを抱いて、麦畑の中に立つ少女。

ナタリーが初めてチューリップに出会ったときの光景がそれだった。これだけだと、まるで印象派の絵にありそうな、牧歌的な雰囲気を思い浮べても不思議はない。しかし…

麦畑の中に、立っていた少女はチューリップ。まるでかかしか石像のように立っていたという描写が、まぶしく光あふれる麦畑の中に影を落とし、一抹の不安をあおる。子ネコに興味を抱いたナタリーが駆け寄ろうとすると、ナタリーのお父さんはあわてて麦の穂を踏んではいけない、とナタリーをたしなめた。もちろんナタリーにも、麦畑に踏み込んではいけないのはよくわかっていた。そう、ナタリーは善悪の分別をわきまえた常識のある子どもなのである。しかし、彼女はなぜか、強烈にチューリップに惹かれたのだった。そして抱かれているネコにも。
チューリップが抱いていたのは、目も開いていない生まれたての子ネコだった。のちになってから、ナタリーはチューリップにそのネコがどうなったのか尋ねる。チューリップはどこかへもらわれていった、と言ったが、それは明らかにウソだった。生まれたての子ネコは、本当はどうなったのか――。

このナタリーとチューリップの出会いは、そのあとに続いてナタリーが一人称で語る物語全体を、一つのイメージで換喩的に表しているといえる。

チューリップのウソ
次から次へと新しい遊びを発明し、気まぐれで大ぼら吹きで魅力的なチューリップ。学校はしょっちゅう休むし、約束は守らない。ウソにウソを重ねて、作り話をしゃべり続けるチューリップ。どういうわけか、そんなチューリップにこの上なく惹きつけられたナタリーは、まるで操り人形のように言われるがままに、あとを追い続けた。チューリップと一緒にいる時間はわくわくして楽しく、刺激的であっというまに過ぎていくのだった。
ナタリーにはどうして両親がチューリップの家に行くことを固く禁じたのかがわからなかった。ナタリーの両親はホテルの雇われマネージャーをしているので、ナタリーはホテルに住んでいる。チューリップはどうしても、クリスマスにナタリーの住むホテルに来たがった。遠回しに断ろうとするナタリーの両親を言いくるめて、チューリップは無理に訪ねてくる。安物のセーターとスカート姿で、並ぶごちそうに異様に執着するチューリップ。両親が見通したチューリップの家庭の事情を、ナタリーは気づいていない。
そもそもどうして自分のような普通の子どもを、チューリップが取り立てて選んで、いつもそばにいる友だちとして必要としたのか。また逆に自分がなぜ、この嫌われ者の、反逆児にどうしようもなく惹きつけられたのかも、ナタリーにはわかっていなかった。
いつのまにか自分がチューリップの奴隷になっていたことも、自分たちの遊びが、常軌を逸して、反社会的な行動へと傾斜していくことも、その先に待ち構えている運命のことも、ナタリーはあとになってから思い至ったのだ。

わかっていたはずだった。親に黙って一度だけ行ったチューリップの家で垣間見た異様な雰囲気は、チューリップの境遇を指し示していた。酔った父、おどおどした母、汚れ、散らかり、荒れ果てた家。
チューリップがいかに人の心をもてあそぶか、素知らぬ顔で残酷になれるか、平然と小動物を殺せるか、それもナタリーには見えていたはずだった。チューリップは、カメを殺すには冷凍庫に入れるのが一番いい方法だと、平然と語っていた。ふたりでウサギ小屋に忍び込んで、ウサギの耳をつかんだとき、ナタリーはチューリップの舌なめずりをするような、残忍な口調と、深いところに隠れている闇のようなものに怖気づいたのだから。

あるとき、ナタリーはチューリップが、人がおぼれて死ぬ様子を嬉々として想像して話すのを聞いた時、はっと気がついた。チューリップが「子ネコとは違って」と言ったからだ。あの子ネコ。目も開いていなかった、麦畑の子ネコは、チューリップがおぼれ死なせたのだ。チューリップは否定したけれど、それはいつものウソだとナタリーにはわかった。

世界のウソ
そしてこの恐ろしい真実から、ナタリーは思い知るのである。チューリップの目から見れば、世界のほうが狂っているのだ、ということを。もしものごとがまっとうであったら、チューリップはウソもつかないし、盗みも、意地悪もしなかっただろう。でもすべては狂ってしまい、チューリップは悪くなった。
子ネコをおぼれさせたことについて、チューリップは言い訳をする。おとうさんはネコをおぼれさせる時、長い時間をかけるのだ。自分ならいっきにやっちゃうから、子ネコはそんなに苦しまずにすんだのだと。
ナタリーは、すべてを理解した。チューリップは知っていたのだ、おぼれかけた子ネコのように、もがいたり、のたうったりする恐怖を、その恐怖が延々と続くことの耐えがたさを。ひとりで、狂った世の中のひずみを背負わされたチューリップの孤独。

おとなたちはなんとかナタリーとチューリップを引き離そうとした。ナタリーに及ぶ悪影響を懸念したのだ。ナタリーは何も気がつかないが、おとなの思惑がわかったチューリップは、周到にその裏をかいた。だが、結局、ナタリーは自ら、自らの安全のためにチューリップから身を引き離すことになる。そしてその結果、ついにチューリップを最後の最後まで追いつめてしまった。
最初に見た麦畑の、光あふれるさんさんとした光景は、炎を上げて燃え落ちるホテルのイメージに重なる。ナタリーはチューリップを見放した自分を、今なお責め続ける。

生まれたばかりの子ネコの身体のもろさ、はかなさ、柔らかさを知っている人なら、その小ささと温かさとふわふわした毛皮の中で動く骨のきゃしゃさを触ったことのある人なら、きっと思い当たるだろう。水の中でもがき死んだであろうあの子ネコは、チューリップの魂だったのだと。目も開いていない、何も知らない、生き始めてすらいない子ネコは、まだ何も知らなかったナタリーの心だったのだと。

 
 
 
 
 



 

 
『チューリップ・タッチ』
アン・ファイン
灰島かり /訳
評論社