企画・編集・制作工房 株式会社本作り空 Sola
 

「トルコの伝統影絵芝居『カラギョズ』」のコラムでもご紹介させていただいた、カラギョズ師タージェッティン・ディケル氏が、2014年3月31日に逝去されました。91歳でした。
翌4月1日に、イスタンブルのアジアサイド、ウスキュダルのシャキリン・ジャーミー(イスラム教寺院モスクのこと)で葬儀がとりおこなわれた後、ヨーロッパサイドのエディルネカプ墓地にある、ディケル家のお墓に埋葬されたそうです。葬儀と埋葬には、娘のギュルデレン・ディケルさん、親族、生徒の皆さん、そして国際人形劇連盟UNIMAトルコセンターの関係者が出席しました。
諸々が落ち着いた後に、ギュルデレンさんからご連絡をいただきました。11月にトルコ行きの予定がありましたので、お墓参りだけでもとギュルデレンさんとお話をして、トルコに飛んだのが2014年11月7日です。
イスタンブルでギュルデレンさんにお電話をすると、1週間寝込んでいたとのこと。お休みされていたあいだのお仕事の調整で、残念ながらたいへんお忙しいそうです。
また、エディルネカプ墓地には区画番号がなく、管理人もおらず、日中でも人気がまったくないので、ひとりでお参りにいくのは危険だととめられました。
残念ながらお墓参りはかないませんでしたが、ギュルデレンさんから、タージェッティンさんのことをうかがいました。


 2014年12月 鈴木郁子

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──最後の舞台は、どちらで?

2013年11月12日のブルサが、父の最後の舞台でした。ちょうど1年前ね。11日から16日で、「国際人形劇&カラギョズフェスティバル」が、ブルサで開かれたの。そこで『カラギョズ』を演じたのが最後です。もうだいぶ体も衰えていたし、病気も進行していたから、周囲の方に支えられながらの舞台でしたけれど……。でも、楽しそうで、幸せそうでした。

第15回ブルサ国際人形劇&カラギョズフェスティバルのHP
タージェッティンさんのお写真も載っています。

──タージェッティンさんは、ほんとうに『カラギョズ』がお好きでした。

ほんとうにね!
年が明けてすぐに寝たきりになってしまったんですけど、意識がしっかりしているときは、ずっと『カラギョズ』のことを話していましたよ。父は、生きることが好きでした。そして、生きるよろこびは『カラギョズ』だったんです。
今年(2014年)10月16日から26日にイスタンブルで開催された「イスタンブル国際人形劇フェスティバル」は、父の思い出に捧げられました。とてもうれしく、名誉なことです。

第17回イスタンブル国際人形劇フェスティバルのHP
「タージェッティン氏の思い出に捧ぐ」とトルコ語と英語で掲載されています。

──年が明けてから、体調は思わしくなかったのですか?

とくに最後の1か月は。
ずっとベッドに横になっているんだけど、立っているような感じがする。立ったままぐらぐら揺れているような感じがする──と訴えていました。
幻覚もよく見るようになったし、ずっと自分の両親の名前を呼んでいました。

──そうでしたか。

最後は集中治療室に入っていました。私はずっと横についていたの。眠ったままで、苦しみませんでした。血圧が急に飛び上がったと思ったら、それが最期でした。静かに旅立ちましたよ。
自分の手で父を安置所へ下ろして、お墓に納めるまでずっとそばにいました。私にとっては幸せなことだったな、と。尊敬する父を自分の手で送れたのですものね。



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ギュルデレンさんにお礼を申し上げ、次にイスタンブルにきたときには、いっしょにタージェッティンさんをお参りさせていただくことをお約束して別れました。

最晩年のタージェッティンさんのお写真を、各フェスティバルのHPで拝見しました。記憶の中のお姿よりもずいぶんお年を召され、お身体の具合も思わしくなさそうではありますが、『カラギョズ』の場にいるタージェッティンさんは楽しそうです。
ただ、私がいつも思い出すのは、初めてお会いした日のタージェッティンさんです。ふってわいた見ず知らずの日本人の来訪に、「ほうほう! 日本から! 何でも聞いてくださいよ!」と笑顔を向けてくれました。そして、お会いするたびに「私はね、『カラギョズ』が大好きなんだ!」というときの、ほんとうにうれしそうなお顔……。

この『カラギョズ』への想いは、お弟子さんたちが継いでくれていることと思います。ですから、笑顔のタージェッティンさんにこの言葉をお送りして、ずっとお顔を忘れずにいようと思います。

Nur İçinde Yatsın. (光の中で眠られますように)




Tacettin DİKER
(タージェッティン・ディケル)


1923年5月31日、イスタンブル生まれ。トルコ共和国ズィラート銀行に勤務。1930年ごろから、トルコの伝統芸能、特に『カラギョズ』にひかれ、1973年から養成所でカラギョズ師の指導を受ける。その後、『カラギョズ』公演を積極的に開催する。特に、1976~2011年の長期にわたって、アク銀行主催のカラギョズ人形劇場で多くの観客にその魅力を伝えた。1997年に開かれたトルコこども基金カラギョズ・スクールでは、芸術総監督を務めている。1990年、国際人形劇連盟UNIMAトルコセンターの設立の中心人物の一人として活動する。その後も、トルコ国内外で開催される伝統芸術や人形劇の公演、セミナーなどで実演者、指導者として活躍し、国際的にその名を知られた。2014年3月31日、イスタンブルにて没。